2011年5月の日記(その1)

4月29日(金)

六甲山に登った

4月30日(土)

寺子屋ミシマ社に参加した。

5月1日(日) 自然観察

どんよりとした曇り。義理の両親らと、自宅から遠くない山の上にある自然観察園を散策する。義理の両親は自然観察が好きだ。とくに義父は植物や野鳥に詳しい。野鳥を発見してそれを目で追うときの真剣な表情は、普段とは違う。それに比べて自分は、今のところ、そこまで野鳥や草花に強い興味を持っているわけではない。家にこもっているよりは健康的なのは間違いないけれど、自然の中にいればそれだけで楽しい、というレベルにはまだ達していないように思う。なんてことを考えてしまうのは、すっきりしない天気のせいか。

帰宅後、同居人が食事の準備をしているそばで、自分はパソコン作業。こういう状態はなんだか落ち着かない。人の仕事としては、パソコンより家事のほうが重要なのだ。そんな気がしているからなのだろう。(T)

5月2日(月)

六甲山カフェへ。

5月3日(火) 自分で播いた種

憲法記念日。のんびりとした1日。朝食→昼食→畑→スーパー→夕食。

畑では赤キビの種を播いた。自分で種まきをしたものは、その後の経過が気になる。自分が手を加えたことに対して、自然がどのようなアンサーを返してくれるか、その変化が楽しみだ。(T)

5月4日(水) 畑のある生活に向けて

Itaminhosさんの田畑を訪問。

帰宅して、同居人と今後の暮らし方について話す。彼女は畑なしの生活はもはや考えられないと言う。わかった。そこは条件として決まりとしよう。ぼくも食糧を得ることは重要だと思っている。

だとすると、あとは畑のできる場所に住みながら、いかに収入を得るかということだ。今の暮らしでもそれは実現できているとも言えるけれど、住んでいるマンションは家賃が年々上がる仕組みだし、いつまでも住み続けるわけにはいかない。それに同居人は一軒家に住みたいという願いも持っている。

そして、今の仕事もいつまで続けれられるかわからない。その後はいったいどういう仕事をしていったらいいんだろう。

まあそんな課題をかかえつつ、手始めにウェブサイトでも作ってみるかというアイデアが出た。そのサイトがこれである。(T)

5月5日(木) お腹いっぱい食べたい

同居人の甥っ子の初節句パーティーに参加。同居人は着物を着た。たくさん飲んでたくさん食べた。

「お腹いっぱい食べたい」。これが畑に対する興味の源のひとつだ。だから野菜だけじゃなくて、米や麦も作ってみたいと思うのだろう。「食っていく」とかいうけれど、いまの会社での仕事と食べものが結びついているように思えない。会社の机に座っていることと、衣食住のあいだの距離を果てしなく遠く感じてしまう。(T)

5月6日(金) 贈与論

内田樹「街場のメディア論

」を読む。返礼と義務の話で、モースやストロースの贈与論を紹介しているところがわかりやすかった。このまえ六甲山カフェで会ったMさんが言ってたようなことも、贈与論に基づいているように思える。Mさんはきっとそれをコツとしてつかんでいるのだろう。そういえばワインをおごってもらった。(T)

5月7日(土) ミニ田んぼ

畑のなかにミニ田んぼを作った。1m×2.5mくらいの大きさ。水を溜めて畦塗りをした。

生ゴミを畑の一角に埋める作業が好きだ。とりあえず埋めておけば、次に掘り返してみたときに何かしら変化がある。その変化を見るのが楽しい。自分は何もしなくても、自然が仕事をして変化を作り出してくれる。それを観察するという楽しみ。この傍観する感じは、なんとなく旅行の楽しみにも似ている気もする。(T)

5月8日(日) 動機不純の菜園日記

昨日に引き続いて畑仕事。だんだんと畑に行かずにいられない体になってきたような気がする。ま、気がするというレベルだけど。ふと「動機不純の菜園日記」というタイトルが浮かぶ。

午後は枚方の五六市へ行く。蜂蜜とkaido coffeeのコーヒー豆と、同居人は端切れの布を買った。

旅行の写真を売っている若い男の人がいて、興味はあったがなんとなく声をかけづらかった。写真1枚を150円で売っていたのだけど、その「150円」という数字をへんに意識してしまって、話しかけることがためらわれたのかもしれない。お金のやりとりは大切だけど、それを気にするあまりコミュニケーションの機会が失われてしまうとしたら、なにか本末転倒のような気がする。(T)