2012年5月の読書

「エンデの遺言―根源からお金を問うこと」

「モモ」を書いたミヒャエル=エンデは、お金が持つ問題点に着目していて、著作の中にもお金への批判を含ませていた。そのエンデの晩年のインタビューをもとに、NHKがお金をテーマにしたドキュメンタリー番組を制作。それを書籍化したのがこの本だ。 お金の問題、それはつまり「利子」と「価値の保存」の問題に集約される。 例えば何かモノを買うとき、その値段には、利子の支払い分(と、土地代)が含まれている。値段のだいたい3割くらいだったかな。そのお金は「無いもの」に払っているお金だ。なぜそうなっているかというと、誰かからお金を借りてそれを返すときには、利子を付けて返さなければならないから。

今となってはは利子をつけてお金を返すのは当たり前のように思うけれど、ほんとうにそうなのだろうか。なんかおかしいんじゃないか。というのが、ここでの問題提起である。

自分はしょっちゅう「働きたくない」という気持ちになるけれど、まあ働くこと自体は悪くない。でも、どうして働き「続け」なければいけないのか、ということは疑問に思っていた。必要に応じて、自分の意志や欲求に応じて、働けばいいじゃないかと。

その働き続けなければならない理由というのは、もしかしたら、この利子の問題が発端なのではないか。つまり、最初の銀行家が利子を取ったために、その返済の義務がいつまでたっても消えず、今の自分たちまでが苦しんでいるのだ。そうふうに自分は理解した。

お金は価値を保存するというのも、なるほどと思う。お金は腐らないし、富をキープしておくには最適な方法だ。どうしてお金が欲しいのだろうと考えたときに、結局、お金が貯まっていく感じがうれしいのだと思ったことがあるけれど、それもまさに、価値が保存できるからこそだ。

この問題に対して、シルビオ・ゲゼルという経済学者が「老化するお金」というアイデアを考えた。100年くらい前のことだ。このゲゼルの理論の紹介に、この本の多くのページが割かれている。

「老化するお金」は、貯めておくと価値が下がってくる。だからなるべく早く使った方がいい。それで経済が活性化されるし、より長期的な価値を持つもの ー例えば、森林を保護するとかー に投資が向かうという。

ゲゼルは、一定期間が経過した紙幣にはスタンプを買って貼らなければ使えない、という方法で、老化するお金のコンセプトを実現しようと試みた。その結果がど うなったかは本書を読んでもらうとして、老化するというのは自然物の性質にマッチしているし、これはすばらしいのではないか、という感想を持った。

「島国チャイニーズ」野村進


ジャーナリストであり大学教授でもある著者が、日本で暮らす中国人にスポットを当てて取材をした。その内容をまとめたのが、この本だ。

人種や国籍による差別は「無知による恐怖」に基づいている。それに対抗できるのは「事実に基づく知」しかない。それが野村進さんの考えだ。この本を読むと、そのことが納得できる。

日本で暮らす中国人の多くは、できるだけ日本人に認められたい、社会にとけ込みたいと願って暮らしている。考えてみれば当然だ、と著者はいう。彼らは日本に憧れを抱き、好感を持って来日したはずだからだ。同時に、中国人による犯罪やトラブルの例もある。そこからも著者は目をそらせていない。

でも、全体像を捉えようとしたときに、悪い部分にだけフォーカスして話を拡げてしまうと、大多数の人のことを見失ってしまう。だから個々の「ふつうの」人から話を聞き、それを集めていくことで、より正確な事実による知、そして理解につながっていくのだろう。

と、 まとめたところで、ではどうしてそれができないのか? という疑問が自分の中に湧いてくる。日本人どうしでさえ、お互いに本当に思っていること、考えていること、悩んでいることを理解し合うのは難しい。そういうことを伝え合う場所も機会もないからだ。職場などで日常的に接する人とも、深い話をしたりするわけじゃない。

もう少し他の人のことを知ることができたら、風通しよく、生きやすい世の中になるんじゃないか。何かいい方法はないのか? 深い、というか本音を聞き出すキラー質問は何だろう?

それを知るには、どうして人は本音を言わないのか? から始める必要があるけれども、なんだか長くなりそうなので、それはまた別の機会に考えてみたい。

「日本全国津々うりゃうりゃ」宮田珠己

読む価値のある文章とはなんだろう? まだ知られていないことを知らせる。まだ考えられていないことを考える。まだ感じられていないこと を感じる。文章の価値にもいろいろあるけれど、宮田さんはこの「感じる」のところが強いのだと思う。すでに知られているかもしれないけど、まだ感知されていないもの。それを宮田さんは文章にしている。 知識や考えは相対的なものだけど、感覚は絶対的なものだ。宮田さんの絶対的価値観は揺らぐことなく、おもしろおかしい文体のなかに表現されている。正しいとか間違ってるとか何に言及していないとか、そういうことを抜きにして楽しめるし、宮田さんのセンサーを分けてもらうことで、日本全国のあちこちーというか世の中をー違った見方で眺めることができるようになる。

でも、さすが宮田珠己、こんなふうになりたい、と思っても、真似をしてはいけない。宮田珠己は宮田珠己というジャンルなのであり、それに匹敵するためには、たぶん自分というジャンルを作るしかないのだ。

「われ日本海の橋とならん」加藤嘉一

1984年生まれのまだ若い著者は、高校卒業後、北京大学に留学。その後、テレビのコメンテーターやコラムニストとして中国国内で有名人となる。そうなるまでの経緯と、彼の目から見た中国と日本、そしてそれを踏まえての若者への提言がまとめられている。 まず驚くのは、この人の勉強熱心さというか、集中力というか、ちょっと他人には真似できないような個性だ。加藤氏は子どものころから背が大きく、性格的にも出る杭であった。そのことに対する周りの反応に違和感を覚えて、世界に出たいと思い、英語を猛勉強する。それが北京大学への留学の話を呼び込み、留学後、今度は中国語を猛勉強。日本人としての意見を中国語で発信できるようになった。これが「第3の視点」を求めるメディアの目にとまり、中国人視聴者の人気を得たのだ。

中国では、日本人としてのアイデンティティを失うことなく、かつ冷静に、中国人にとっても意義のあるコメントを述べている。この本の中でも、現代の中国共産党は「軍国主義の日本に勝利して人民を解放した」という建国神話に立脚しているとか、反日感情を本当に恐れているのは中国政府である、など、これまで自分が知らなかったことがいくつもあった。また、これからの中国と日本への提言、とくに日本の若者に対するアイデアにもなるほどと思わされた。

とくにおもしろいと思ったのが、「暇人」についての考察だ。中国の街を歩いていると、昼間から将棋を指したり酒や茶を飲んでだべっている、何をしているのかわからない人たちを目にする。彼らはいったい何なのか。

興味を持った著者が調べたところ、彼らは街の中に古くから自分の家を持っている人で、そのため家賃を払う必要がない。だからやみくもに働く必要もない。暮らしていける最低限のお金だけを稼ぎ、あとはたっぷりある時間を楽しむというライフスタイルの人たちだったのだ。「上を目指さないのか?」と著者がそのひとりに訊ねたところ、「俺たちは時間を持っている」という答えが返ってきた。著者はそのことに衝撃を受けたという。

たしかに、自由になる時間がどれだけあるかという尺度で考えれば、彼らはもっとも幸せな人たちだと言える。こういう「暇人」が中国には数億人いると見積もられている。その一方で、暇人ではない都市の人は家賃や仕事に追われて、どんどん余裕を失ってきているように感じられると著者はいう。とにかく「暇人」は注目に値する。

「海岸線の歴史」松本 健一

入り組んだ海岸の多い島国の日本は、アメリカや中国などの大国よりもはるかに長い海岸線を持っている。これまであまり注目されてこなかった日本の「海岸線」にスポットを当て、その歴史を描き出す、というのがこの本の内容だ。 人間が海を利用し開発をするとき、つまり、港を作るときに重要になるのは「海の深さ」である。かつて中世の日本では、船底の浅い近海用の船が主流であり、浅瀬が広がる場所が港として選ばれていた。とくに帆船を使うため、風待ち、潮待ちができるように、入り口が狭くなっている湾が適していた。 それが近代になって、開国後、外国船が入ってくるようになる。それらの大型の船は喫水、つまり水面から船の一番下までが深い。そのため水深の深い港が、新たに開かれた。長崎や神戸や横浜がそうである。それまで栄えていた日本海側の港は、しだいに、より深い港にその役目を譲り渡していった。現在のコンビナートや工業地帯のあるのも、水深の深い港がある場所である。港の変遷が今の都市の発展につながっているのだ。

なお太平洋側は、もともと荒波で港が作りにくかった。そのため日本海側の港が発達し、近くの平野に水田が作られた。それが今の米どころなのである。その水田を守るために松が植えられ、白砂青松の風景が形作られた。このように海岸線の利用が、世の中の様々なことを決定してしてきたのがわかる。

……というような、かじったばかりの知識を思わず披露したくなるような本なのであった。

「暗い夜、星を数えて 3・11被災鉄道からの脱出」彩瀬 まる

東北地方を旅行中に地震、津波、そして原発事故に遭遇した若手女性作家のるポタージュ。というか、紀行文といったほうが文章の雰囲気に近いかもしれない。 文章の力を感じさせてくれる作品だと思った。地震や津波の被害にあった人は多い。原発事故の影響を受けた人もたくさんいる。それぞれの人にそれぞれの話がある。その中で、自分が自分の体験を文章に書いて発表する資格があるのか。著者はそんなためらいを記している。けれど、1人の個人に起こったこと、気持ちの変化、行動。それを逃げることなく自ら文章で追っていくことで、見えてくるものがあるし、他の人の心に届くものにもなるのだ。この本を読んでいて、そんなふうに思った。 もちろん、地震の影響を受けていない者としては、彩瀬さんの経験は九死に一生だと思えるし、原発事故の恐怖を死を覚悟するほど強く感じた人のひとりだと思う。日常から考えると、あり得ない状況を経験している。その地震に遭遇してから避難するまでのことが、この本の前半部分に克明に描かれている。そしてそのとき現地で偶然にも関わった人のことを思い、というか頭から離れず、再びその場所を訪れる。そのときの様子が後半部分になっている。

この震災の一面を等身大で感じさせてくれる本だった。とくに旅行中に被災したという体験を共有することで、離れた場所にいる自分と現地をつなぐ接点が生まれた気がした。

「ルワンダ中央銀行総裁日記」服部正也

「正直」という言葉が印象に残った。 著者の服部正也さんは、1960年代のルワンダに中央銀行総裁として派遣された人物。独立後間もない当時のルワンダでは、外国人の顧問や商人が実験を握り、自分たちに有利になるような政策が行われていた。その中で服部さんは、日本での銀行家としての経験と、自分の目で現場を見た情報をもとに、ルワンダの人のためになるような「正直な」金融の仕組みを作るために力を注いでいく。それが大統領の信頼を得て、金融だけではなく経済全般、そしてルワンダの国づくりに重要な役割を果たすことになった。その顛末がこの本で語られている。 こういう日本人が戦後の日本を作り、世界での信頼を得ていったのだなあという気がする。目先の利益に振り回されず、きちんと目的を見据えていて、立派としかいいようがない。もちろん本人の書いた本なので別の見方もあるのかもしれないけど、大統領をはじめ、ルワンダの人に信頼されていたのは確かだ。でも服部さんはルワンダの人には好かれないことも覚悟していた。ただ好かれようと受けのいいことばかりをしたわけではなく、自分の考える「正直な」ことを実行したのだ。それがルワンダという国で実を結んだという事実に、胸がすくような気持ちになった。