2011年9月の日記(その2)

9月5日(月)

同居人は畑のことでスランプ気味らしい。そろそろ「なぜやるのか」について、考えないといけないのかもしれない。自給自足を目指すなら、まず米や小麦など穀物を作ることを考えないといけないし、日々の食事で使う野菜をまかないたいという目的なら、確実に育つ種と肥料のことを考えないといけない。はたまた、品種の多様性を守るために伝統野菜を育てる? 珍しい外国野菜を作る? うーん、その何かに特化するっていうこと自体が、なんかちょっと違うんだろう。

9月6日(火)

ノートに日記を書き付けて、はじめて「思う」ことがある。

9月7日(水)

この前、同居人の実家で読んだ片付けコンサルタントの人の本に、物を捨てるかとっておくかを判断するポイントは「ときめくかどうか」だと書かれていた。なるほど。

9月8日(木)

働くということについて、男女の条件をほんとうにフラットに考えている人はどれくらいいるんだろう。男性が働いて家族を養うということと、女性が働いて養うということを五分五分で考えるということ。北欧の国の生産性が高いのは、女性がしっかり働いているからだと言われる。

いや、だから日本の女よもっと働け、とか言いたいのわけではない。そんなことは思っていない。むしろ、文化的にも、家事の果たす役割が大きいように感じる。だから、たとえば夫婦の場合、夫も妻も100働いて家事はアウトソーシングするというよりは、夫婦トータルで100働いていればいいんじゃないかと思っている。夫婦間で不公平感のないところでいうと、どちらも50ずつ働いて100にすればいいのだろう。

ただその50って何?という視点もある。それは単純に収入の金額ではない。家事だって仕事だ。そこで、たとえば「他者のために何かすること」を仕事だと定義することもできるかもしれない。その場合、自分の家族のためにする家事は除かれる。

…えっと、また何が言いたいのかわからなくなってきたけど、ようは不公平に思う感情をクリアにする方法を見つけて、他人のためにする仕事を楽しく感じることができれば、だいたいオッケーなんじゃないかということ。とくに「他人のために働く」の「他人」のなかに、自分を見いだすことができれば、仕事は楽しくなるのかもしれない。

9月9日(金)

ネットでチュニジア行きの航空券を探す。しばらく前から値段の動きを見ていたけど、どうやら底値のタイミングを逃したようで、少し価格が上がってしまった。金額が大きいので感覚が麻痺してしまいそうだけど、1万円アップすると2人で2万円違うわけで、日常生活で考えたら大金だ。底値をつかめなかったことで、悔しい気持ちに包まれた。

しかし、少しでも安いチケットを探そうと、何時間もインターネットとにらめっこするのは、果たしてまっとうな行動なんだろうか。なにか間違っているようにも思う。まあ、そんなこともしたよね、という思い出にはなるだろうけれど、細かい比較検討に時間を費やして、結局、失うものが大きいんじゃないかという気がする。時間がもったいないということでもあるし、何かこう、お金というか価値のやりとりとして正しくないような気がしてくる。誰と何を交換しているのか、さっぱり見えない。

自分自身も物事の価値を定めきれていないようにも思う。だから値段のちょっとした動きに右往左往してしまうのだ。自分にとってチュニジアに行くということがどれくらいの価値を持つのだろう? 借金してまで行きたいか、航空券が激安じゃないと行かないのか。まあ、その中間くらいに答えはあるのだろうけれど、自分のなかの価値がどれくらいかが問われている気がした。

9月10日(土)

同居人の家族と、飲茶ビュッフェを食べに行く。「飲茶食べ放題」。ここから受けとる楽しみな気持ちについて記録しておきたい。いや、しばらく前から、このイベントは妙に楽しみだったのだ。これはどういう気持ちなのだろう?

食べ放題の魅力というものがまずある。何でも好きなだけ食べていい。全能感というものだろうか。栄養を身体のすみずみまで行き渡らせることができるような気分。ダイエットしてる人はそうもいかないのかもしれないけど、自分の場合は、ここぞとばかりエネルギーを補給しようとか思ってしまう。

もうひとつは異国感だろう。飲茶ということで、中国の気分が味わえる。外国のものを好きなだけ食べられる。これ以上のぜいたくはないんじゃないか、とさえ思ったりする。自分のところでは生産できない異国のものを味わうことには、なにか普遍的な喜びがあるのかもしれない。これがグローバル化とかで、内と外があいまいになってくると、どうなるのだろう。それはわからない。けれど、この内と外のギャップをいま自分たちは楽しんでいる。安全で心地よい場所で、おいしく、手頃な価格で、このギャップを味わうことができる機会。それが、たとえば、この飲茶ビュッフェだったのかもしれない。

9月11日(日)

うちのプチ田んぼの稲刈り。幸運にも、とくに苦労することなく、米が実った。こういうふうにうまくいくと、農業をやってみてもいいんじゃないか、とか思ったりする。まあ、それだけでやっていくというよりは、何かと組み合わせてやっていくという方向だと思うけれど。

(T)