車窓と山のかたち

チュニジアに着いた初日のうちに、首都チュニス(Tunis)から、スース(Sousse)という街に移動することにした。約140キロの道のりを鉄道で行く。

チュニス中央駅で切符を買い、列車は6番ホームから出るというので、他の乗客たちとともにそこで待っていた。すると「スース行きはこっちだ!」。隣のホームに停車している列車の中から、誰かが叫ぶ。待っていた人々は、あわてて移動。線路を渡って、その列車に乗り込み始めた。自分たちもそれに続く。

切符には「1-69」と 番号が書かれていた。それを1号車の69番席と読み取って、1号車に乗り込む。意外と車内は空いていた。席を確保して、やれやれと思ったとき、ふと気になって近くの人に尋ねてみる。「この車両って…」「ああ、ファーストクラスだよ」 しまった。自分たちの買った切符は2等席だ。2等車両に移動すると、そこはほぼ満員。なんとかばらばらの席を確保して座る。ああ、出遅れてしまった。まあ、座れるだけましだな。そう思っていると、隣のおじさんに近くのおばさんが何か声をかけてくれ、われわれが2人一緒に座れるように、席を変わってくれた。

窓が外れかけていたり、電燈のカバーが落下していたり、車両はかなり古い。でも、走り出すと、けっこうスピードが出る。架線があるので、電化されているようだ。揺れもも少なくて快適。席もゆったりしている。進行方向を背にして進むのにちょっと違和感があるけど、まあ座席の向きなんて、だれも気にしないか。窓は汚れていてよく見えないが、車窓にはオリーブの畑が広がっていたり、羊が集められて売り買いされていたりした。山の形も奇妙だ。手前にある車道の風景は見慣れたものなのだけど、その背後にある山の形は、どうも変わったものに見える。そういえば、飛行機でチュニスの空港に着いてすぐ景色を眺めたときも、遠くに見える山の形が気になった。日本国内でも旅行中に車窓を見ていると、山の形に目が留まることが多い。

人が作るものはどこも似たようなものになってきている。だから、自然が作り出す風景の方に目が向くようになったのだ。

という説明もできるだろう。でもそれとは別に「無意識」みたいなことを考える。

自分の場合、日常では、山の形をあまり意識することはない。手前にあるものごとには目を向けていても、背景の山のことはほとんど気にしてない。

旅行に出たときも、まずは間近に迫ってくる人や建物などを意識する。人種や文化が違うということは想定内だ。でも、そのとき背景にある山の形が違うということは予想していない。だから、それを違和感として感じるんじゃないだろうか。旅行に出ると、ふだんとは違うところにピントが合うのかもしれない…そんなことを考えているうちに、いつの間にか日が落ちて、外は暗くなっていた。通路を挟んで向かい側の席の男女は、出発してからずっとおしゃべりを続けている。その前の席では、スカーフをかぶって眼鏡をかけた学生らしき女性が、熱心に本を読んでいる。どこからかアラビア音楽が流れている。到着したら暗い中で宿を見つけないといけないので、地図を見て予習した。