5月16日(月) メインイベントではないBBQ
昨日の登山のあと、友人宅のとなりの公園でやったバーベキューは、急に決めた割には、炭の量、食事の量、お酒の量、いろいろちょうどいい感じだった。バーベキューは意気込みすぎると物を買いすぎたり、こだわりすぎたりしてしまう。昨日みたいにメインイベントにしないくらいが、ちょうどいいのかもしれない。
5月17日(火) 森の中でひっそり暮らす?
「森の中で暮らしたい」と同居人は言う。いいね。自然の中で暮らすのはいいことだ。でもひっそり暮らすということになるとちょっと違う気がする。やっぱり近くに仲間がいる方がいい。仲間付き合いはとくに得意ではないけれど、それでも孤立して寂しいっていうのは避けたい気持ちがある。それは何かリスクを分散したいという考えなんだろうか? 個人旅行と団体旅行の違いみたいに、集団でいると責任や恐怖が分散されて楽ちんなので、そうしたいということなんだろうか。
思想的に孤立してしまうことも、おそれている。例えば森のなかでひっそりと暮らしたいという考えが、大部分を占める町の人の考えに背を向けるようなことになってしまうと、それもつらい。早い話が、困っているときに助け合える人がいてほしいなあということだ。そういうのをコミュニティっていうんだっけ?
5月18日(水) コミュニケーションの交通量
百姓をやっているItaminhosさんのような暮らし方で、なおかつ今の社会のなかで安定的に生活していくにはどうしたらいいんだろう。ソフトランディングな方法があるのか、それとも何かをぶっこわすような方法しかないのか。よくわからない。よくわからないけど、外に出て仕事をして、そこで稼いできたお金を食いつぶすことで農業のある暮らしを維持するというのは、どうにかならないものかと思う。だからといって、機械化とか農薬でどんどん生産性を上げるというのは、自然に対するつきあい方としていずれ無理が出てくるというのもわかるし、長い目で見ると人に対する害も大きいだろう。そのギャップを埋める方法をItaminhosさんも模索していると言っていた。Itaminhosさんが実践しているように、まずは「コミュニケーションの交通量を増やす」みたいなことから始まっていくんじゃないだろうか。作ったものを人に売ったり、田畑に来てもらったりということから、何かが生まれていくような気がする。
5月19日(木) オープンにする
会社の居心地が悪かったりするのも、社員同士がいざというとき助け合える関係かどうか自信が持てないからだろう。誰もオレを助けてくれない。というのはまあ仕方がないとして、誰かが困ったときに手を差し伸べられる自信が、自分の中にないというのはよくない状態だ。もちろんそれは自分の資質の問題でもあるけれど、システムとか環境の問題も無視できないように思う。
いいものを作ったり、いい仕事をしている人は、いい信頼関係の中にいるんだと思う。その信頼関係の中に入りたいと思って、さらに人が集まってくる。ではどうすればそんな信頼関係を築けるんだろうか。何を考えているかわからなかったら、信頼してもらえない。まずは自分の中の動機や、欲しいもの、大切にしたいものをオープンにすることなんじゃないかな。
5月20日(金) あえて過去形
わけあって、中村安希「インパラの朝
」を再読する。2回目に読んでみて気がついたのは、文章のほとんどが過去形で書かれているということだ。過去のことなのだから過去形なのは当たり前のように思うけど、実際、旅行記を書くときには、現在形を織り交ぜて書いた方が一緒に旅をしているような臨場感が出る。「今日は市場に行くことにする」とか「屋台でタコスを食べる」みたいに。逆に過去形ばかりだと「〜だった」「〜だった」と文が単調になってしまい、そんな作文では先生に怒られてしまいそうだ。でも、たぶん著者は意識的に過去形ばかりを使ったのだろう。そうすることで今書いている自分と、旅をした自分とを切り離して客観的に旅を見ることができるのだ。
そしてそこには「表現」が入り込むスペースが生まれるように思う。「一緒に旅する」というスタイルだと、実際の旅行中にはそんなかっこよく物事を見れないだろう、とか、現地の人がそんな的確な言葉やうまい表現を使ってしゃべるわけないじゃん、とか、そんなツッコミをしたくなる。でも、書く私と旅した私を切り離して捉えることで、文学的な表現や脚色した会話(意訳した会話?)が生きてくる。 それはこの本のテーマであった「小さな声に耳を傾ける」ということを表現するのにふさわしいスタイルのように思う。
自分が旅行をしたときは、自分の声にばかり耳を傾けていたなあ。それはそれで大切なことだと思うけれど、もしバックパッカーの価値とか役目があるとすれば、そのひとつは著者が言うように、小さな声を拾いそれを届けることなのかもしれない。
5月21日(土)
5月22日(日) つながる革命
坂口恭平氏の動きから目が離せない。Twitterを追ってしまう。熊本に「新政府」を立ち上げた坂口氏は、ほんとうに革命を起こすんじゃないかと思わせる。それは破壊する革命ではなく、つながる革命だ。彼は空中ブランコの受け手のように「手を離せ。こっちで受け止めるから」というメッセージを送り続けている。手を離したくても離せない(と思い込んでいた)人の中で、勇気ある人は手を離して飛び移るだろう。大きな農地の提供の申し出もあったそうで、そこで農業をやる人を募ったりしていた。ちょっと行ってみたいような気になってくる。まあうちの家庭菜園の経験では完全に素人だし、僕なんて今年になってようやく畑仕事に前向きになってきたくらいのレベルだから場違いなのだけど。
しかし坂口氏の言っていることは、共感できる部分が多い。例えば、「1人でいるときの直感を信じろ」。これは旅行をしているとき僕も思ったことがある。直感は1人でいるときじゃないと冴えないのだ。星野道夫さんが熊に襲われたのは団体行動をしていたときというのも、何か関係があるような気がしている。「個人と個人でつながれ」。 これもその通りだと思う。組織にいるときには雰囲気に飲まれてしまい、個人と個人として誰かと話すということができない。それがイヤで組織を離れたい、会社やめたいとか思ったりするのだ。「会いたい人には直接会いに行け、1人で行け」。 これは何かを始めるための基本なのかもしれない。やっぱり1人の自分の感覚として、何を思うのかということが重要なのだろう。
というふうに、なんとなくこれまで言いたかったことを坂口氏が代弁してくれているような気がしてくるのだけど、それをここにちまちま書く必要があるのだろうか。すべては動けない自分への言い訳じゃないのか。とにかく信頼できる人とつながること、これが重要なのだろう。
(T)