すばらしき国際大会

キューバ2対7韓国 今日は台北に移動する可能性があったが、準々決勝に進出したキューバの試合会場が台中に決まったため、もう1泊延長することになった。その前に、昨晩は宿のオーナーのOさんがこちらの宿泊数を勘違いしており、「もう出るんじゃなかったの?」と言われ、一瞬もめそうになったが、向こうの勘違いだとわかり事なきを得る。それをきっかけにこれまでまったく口を利いてくれなかったOさんの妹が急に話し始め、Oさんも交えて日本や台湾の話で盛り上がった。

「台湾の人がバイク乗るときマスクしてるのって、排気ガスを防ぐため?」

「あ、あれは日焼けしたくないからです」

Fが台湾のバイクのヘルメットは種類も多く、安くてかわいいデザインのものがたくさん売っていると指摘すると、

「えー、そうですか?」

「そう。日本なんて、ブラック、ホワイト、グレー、以上。って感じ」

この日の昼間は台中駅の反対側に初めて行ってみる。元ビール工場が文化施設になっていて、そこで売られていたおみやげの小さな酒セットを(コーリャン酒)を買おうかと思ったが、なんとなくピンと来なくてやめる。そのあと駅近くまで戻ってスーパーマーケットでお土産を買う。そこでやっぱりさっきのお酒を買えばよかったと後悔する。 歩き疲れて、宿に戻りぐったりしていると、この間、ビデオ面接をした会社から、次は日本語で電話面接をしたいとメールが入った。 球場に行く。キューバの準々決勝の相手は韓国だ。試合中にバックネット付近を見ると、昨日会ったカナダ人とアメリカ人のMLBの人たちも来ていた。昨日は連絡先を聞かなかったし、もう会えないだろうなあと思っていたのだが、もっといろいろ話を聞くチャンスだ。 「カナダ負けちゃいましたね」 「そう、エラーが多すぎた」 「今日もスコアつけてるの?」 「はい、今は妻がつけています」

と言った後、どう話を続けてよいかわからず、なんとなく居心地が悪くなって、元の自分の席に戻ってきてしまった。それきり再びバックネット裏に足を運ぶこともなく、試合後に彼らと出会うこともなかった。

昨日もっと話を聞けばよかったと後悔していたのは何だったのか。せめて連絡先でも聞けばよかった。でも、いったい自分は何を求めているのか、とも思う。MLBというネームバリューのある人と知り合いになりたいってこと? いや、それだけではなくて、昨日の電車でのひとときは勘定抜きに楽しかった。その一瞬の輝いた時間が終わったあとの寂しさようなものに包まれているのかもしれない。 試合はキューバが韓国に負けた。国内プロのほぼベストメンバーを集めた韓国と、主力が次々とアメリカに亡命してしまっているキューバとでは力の差がある。選手の亡命を防ぐため、キューバチームは生きのいい若手選手は連れてきていないという説もある。 昼間に観光案内所で知り合った日本人男性と球場で会う。メキシコチームの帽子をかぶって、ヤクルトスワローズのユニフォームを着ていた。

「スポーツの国際大会が好きで、サッカーとか野球とか、チャンスがあれば海外に観に行ってるんですよ」

その気持ちはわからなくもない、と自分も今となっては思う。

国際大会はいい。何かさわやかで純粋なものがある。その国のトップクラスの選手が、観客もほとんどいない球場でも熱意を持ってプレーし、少ないながらもレアなファンがそれを見つめる。観客が少なくても選手が真剣なのは国を代表しているからだろう。キューバチームは球場での応援は少なくても、国では多くの人がテレビ観戦したり、ニュースを追ったりしているはずだ。 先日のビデオ面接を終えて、グローバルビジネスの世界と自分との距離を感じて打ちひしがれていたときに、頭に浮かんだのは「バットもらっちゃいました」と言った日本人男性ファンのうれしそうな顔だった。実際にその言葉を聞いたときには、そんなグッズをもらって喜ぶなんて、もっと野球というスポーツ自体に注目すべきなんじゃないか、とか正直思ったのだが、今となってはそれが温かい気持ちを呼び起こす。換金するわけでもなく、将来への投資でもなく、ただ、もらってうれしいという気持ち。フィールドでプレーしている選手と物を交換したり、コミュニケーションをしたりするのは特別な何かがあるのだ。

その選手と道端で会っても、何ということはないかもしれない。でも、フィールドにいる彼らには特別な何かが宿っていて、観客は選手を通じて、その特別な存在とコミュニケーションをしているのかもしれない。バットもらってどうすんの、それ機内持ち込みできるの、預け荷物にどうやってするんだ、とか現実的なツッコミはさておき、そのうれしそうな顔はそういう特別な存在を伝えているのではないか。 選手は野球の神の意思を表現するシャーマンのようなものかもしれない。そう考えると、Fがキューバ選手を好きになったのも、野球の神様のメッセージを受け取ったということかもしれず、若い男にキャーキャー言って、それってオレが女子高生を追っかけ回しているようなものだぞ、とか思っていたけれど、もっと崇高なものだったのかもしれない。

ということをFに語って聞かせようかと思ったが、その前に 「あの子、フェイスブックで彼女の写真ばっかりアップしてんねん、腹立つわ」

と不平をこぼすのは、どう解釈すればいいのか。

試合終了後にバス停に行くと、「バス、フィニッシュ」と言って、韓国人のファンたちがタクシーに乗り込んでいるところだった。歩いて宿まで帰ることにする。前に歩いたことのある人の情報では2時間くらいかかるらしい。

道中、疲れてきたころに24時間営業の豆漿店が開いているのを見つけた。その隣には同じく24時間営業のマクドナルドもあったが、見るからに豆漿店のほうがにぎわっていた。その白っぽい店の光に吸い込まれるように自分たちもオープンスペースのテーブルに座り、熱い豆漿とパイを食べる。 龍應台さんという台湾の人が書いたエッセーで、24時間営業の豆漿店は台湾人のすばらしい発明のひとつ、というようなことが書かれていたのだけど、なるほどこのことか、と納得したのだった。 気がつけばキューバを好きになっていた。今日が最後の試合となると、切ないような気持ちになり、試合中もこれまでになく積極的に応援した。カナダ人スカウトのおじさんと最後ちゃんと話せなかったのは、まだ後悔しているけど、それでもいい滞在だった。そんなことをFと話しながら、夜道を歩いた。