2011年8月の日記(その1)

8月1日(月)インディアンナイト

昨日ハラルフード屋で買ってきた「アタ」というインドの全粒小麦粉を使って、Fがインド風なパンを焼いた。プライパンをひっくり返して、ドーム状になった鉄板の上で焼くのがおもしろい。アタを使うと、表面がざらっとした仕上がりになって、異国情緒があふれる。おかずはスパイシーなひよこ豆ペーストの揚げ物。これは賞味期限が切れていたため、フリーでもらえたものだ。ナンだけをちぎっては食べ、しても十分いけるけど、この揚げ物といっしょに食べるといくらでもいけそう。前に古本屋で買った「渓間のガザル

」というカシミール音楽のCDをかけて、インディアンナイト気分を盛り上げた。

8月2日(火)今年の旅行への意気込み

今年の旅行の行き先はチュニジアが有力になってきた。チュニジアの国民的料理はクスクスだというし、先日、六甲山カフェやハラルフード屋で食べたり見たりしたものと、何かつながっている気がする。2人とも行ったことがない国だし、楽しめるんじゃないだろうか。問題は言葉か。アラビア語かフランス語の国。英語はあまり通じないだろう。そろそろ観光旅行から、一歩踏み込んだ旅にしたい。ただお金を費やしてストレス発散して終わりという旅行じゃなくて、何かを得て帰りたい。貧乏性になってきたのか、そんなふうに考えてしまう。で、何をテーマにするか。ひとつは「食べもの」だろうか。食べものから探って、農場まで見に行くとか。日本のハラルフード屋で売られているものがどこから来ているか、逆にたどってみたりとか。個人的にはトラムとか列車とか、公共交通に興味があるような気がしないでもないけど、これはあまり広がりがないようにも思う。まあ、いつもとはちょっと違う姿勢で旅してみよう、という意気込みだけが今はある。

8月3日(水)残業しない後ろめたさについて

残業せずに帰ってしまうことへの後ろめたさについて考える。日本は横並び意識が強いとか、効率を重視しないとか、家庭を大事にしないとか、いろいろ見方はあると思うけど、ようは、あいさつの問題ではないのだろうか。「お先に失礼する」というメッセージを堂々と伝え合うことができれば、後ろめたさやねたみの感情も減るような気がするのだけど。

8月4日(木)コミュニケーションの質

コミュニケーションの質が下がれば、生きる気力も下がっていくように思う。「秋葉原事件

」を読んでそんなことを思った。

8月5日(金)歩くという選択

朝、駅に行くと、事故で電車がストップしていた。隣の駅からは運行しているとのことなので、徒歩でひと駅分歩くことにした。タクシーに乗ったり、そのまま駅で待つという方法もあったけれど、とりあえず歩いてみる、というのが、自分の好きな選択肢だ。

仕事が遅くなり終電間際で帰宅。夕食は畑のゴーヤを使ったアジア風ご飯。冷たくなっていてもおいしかった。

8月6日(土)「何がしたいかより、なぜやるのか」

朝食は、ふたたびアタを使ったチャパティと豆乳チャイ。

京都・南山城村の童仙房というところで開かれていた「山の上マーケット」という市(いち)に出かけた。うちから1時間半ほどバイクで走る。山の上という名前どおり、山道を登ったところに、ぽっかりと集落が開けていた。童仙房(どうせんぼう)という地名も不思議だし、いったいここはどこなんだろうと思わせる秘境感がある。

このマーケットには、STU:Lのイベントつながりの京都のデザイナー夫妻が出店している。そのつながりもあったし、なじみのない場所がおもしろそうだったので、やってきたのだった。会場には、同じくSTU:Lのイベントで食事を出してくれている青さんも来ていて、ばったり出会った。青さんとは、これまであまり話したことがなかったのだけど、真夏の陽差しを避けて休憩しながら、いろいろと話をする。というか、いろいろ質問してしまった。

どういう経緯で、いまのケータリングを中心とした料理の世界に入っていったのか。文章を書いて表現するワークショップのこと、作品を作ってギャラリーで個展をすること、そんなことが土台になっているみたいだ。「何がしたいかより、なぜやるのか、なんだと思う」と言っていた。よく考える人なのだと思う。それも文章で考える人なんだろうな、というのは、STU:Lのイベントで会ったときから何となく感じていた。強く自己主張するわけではないけれど、自分の考えはしっかり持っている。食べものについても、表現についても、独自の価値観を持っている人のような気がした。青さんの料理は味がおいしいのはもちろん、なにか自由な感じを受ける。それも独自の価値観を持っているということから来るものなのだろう。では、その価値観とは何か? というところまでは踏み込めなかったけど(インタビューじゃないし)、とにかくいい刺激になった。

帰路につく。道中は、水稲の緑色がきれいだった。夏といえば、海の青さとかスイカの赤とか、そういう色がイメージされるけど、緑の量と濃さがすごい時期でもあるんだなと思う。季節は何回経験しても、そのたびに新鮮だから不思議だ。

帰宅し、一息入れてから、大阪市内まで淀川花火を見に出かける。移動距離の長い1日。淀川の花火はなんだかんだで毎年見ているけど、ピンクとか黄色とか、今年は色が進化しているように思えた。花火も毎年見るたびに新鮮だ。

8月7日(日)夏の怪談の原点

夜、地域の盆踊り練習会。開始時刻を間違えて、早く着いてしまった。おじさんおばさんたちの雑談を聞きながら待つ。「今日は墓参り行ってきたわ」「ああ、うちもやわ」「そういえば、昔はこのあたりでも遺体を焼いとったな」「そうそう、火がついたら遺体がうわーと立ち上がったりするねんなあ」「聞いた話やけど、遺体に火をくべて一晩そのままにして、翌朝見てみたら、その遺体が跡形もなく、無くなっとってん。あれっと思ってまわり見てみたら、近くの木に遺体がぶらーとぶらさがってたらしい。火の勢いでぶわっと空飛んだんやな…」

なんか夏の怪談の原点に触れた気がした。