2011年9月の日記(その4)

9月19日(月・祝)

マンション回覧板の文書を作成。早く書いてさっさと回してしまいたいという気持ちが働いたのか、書くべきことのひとつを書き忘れてしまった。同居人に校正してもらえばよかった、と反省。他人の目を通すという工程は、省かない方がいい。自分が他人の目の役割をするときも、手を抜かない方がいい。焦りとか早く手放したいという気持ちをおさえて、それを実行できるかどうかが鍵なのだろう。なんて言ってても、しょっちゅう面倒くさいという気持ちに流されてしまうんだよなあ。

早く「済み」マークを押して、手を離してしまいたいという欲求がある。でも、その欲求に忠実でいると、ミスや問題を招いてしまうこともある。何かを引き受けるときは、そこを注意しなければならない。いったん引き受けてしまうと、いい加減なことをしてしまうと評価を下げてしまう。かといって、力を注ぎすぎるのも、自分本来のところからずれてしまって、ストレスが生じる。そういう場合は、いい案配のところにルールや手順を設定して、ルーティン化してしまうのがいいのかもしれない。意にそぐわないことは引き受けない。趣旨には賛同するけど、力を注ぐ余裕がない場合は、ルーティン化できるところを引き受ける。まとめると、そんなところだろうか。

夜、チュニジアの予習に「スター・ウォーズ エピソードI

」をDVD鑑賞する。iPadみたいなのが出てきた。

9月20日(火)

高野秀行「イスラム飲酒紀行

」を読む。テーマというか、目のつけどころがさすが。イスラムと飲酒を結びつけて、誰もやったことがない旅を作っている。実際に高野さんが本気の酒飲み(ていうか、アル中?)なところが、おもしろい。読んでると、知らず知らずのうちに自分もお酒が飲みたくなってくるのが不思議だ。ちなみにチュニジアは比較的お酒が飲みやすい国で、ロゼワインがおいしいのだそうだ。メモ。

9月21日(水)

みんなが幸せになる方法を考えないといけない。なんてことを、ふと、米倉誠一郎「創発的破壊

」を読んでいて思った。学生時代にインドに行ったとき、ガジュラホという町で親切にしてくれた少年のことを思い出す。その町を立ち去る前の晩に、その少年から「お金を援助してくれ」と言われて、断ってしまった。彼は涙を浮かべて頼んでいたというのに。頭の良い少年だった。少しのお金を渡すことで、彼の人生は変わったかもしれない。自分は人にお金を援助するような立場に値しないと思っていた。というか、そんな立場になり得るなんて考えたことがなかった。日本では親の仕送りで暮らしている学生でも、インドに来れば他人の人生を変えるほどのインパクトを与えられる存在になるのだ。よく、インドに行けば人生が変わるというけど、他人の人生を変えられる存在になるということも言えるかもしれない。

あ「創発的破壊」の話だった。この本でひとつ印象に残ったのは、最初のパラダイムチェンジは科学の分野で起こったという話。地動説は直観にも宗教にも反していたが、真実だった。これはすごいことだと思う。最近は、直観は常に正しい、と思いがちだったけど、こういう思想を超えるような発見もあり得るのだ、ということを覚えておきたい。

9月22日(木)

親しい友人でも、お金のことは聞きにくいのはどうしてだろう。中沢新一「純粋な自然の贈与

」のなかに、「無償の贈与でつながる関係と、売買でつながる関係はまったく別物」だとあった。売買では、大事なもの(霊)が交換されないので、人と人はつながれないということだそうだ。親しい友人どうしでは、そういう売買の関係にはなりたくないので、お金の話を避けたくなるのかもしれない。何かをおごってもらったり買ってもらったりしたときに、今ひとつすっきりしない気分が残ることがあるのも、そういうことに関係してるんだろうか。大事な人とはできれば金銭のやりとりはしたくないものだ。会社の人間関係でも、たとえば給料というお金だけでつながる関係になってしまうと、うまくいかなくなる。人間的なものが交換されている状態が、いちばん楽しい状態なのかもしれない。でも避けては通れないよなあ、お金。

9月23日(金・祝日)

昼間は畑仕事。夜はDVD鑑賞。おつまみは自家製キャラメルコーン。おやつのストックがない中、同居人がよく思いついた。

観たのは「いのちの食べかた

」食べ物の生産の現場を、淡々と記録した映像。セリフもナレーションもないので、思わず眠くなった。英語の原題は「Our Daily Bread」。平均的なシーンを記録しているのか、極端なところを切り取っているのかはわからないけど、いわゆる価格競争力のある農畜産物というのは、こんなふうに作られてるんだろうなあと察することができる。効率を重視したら、食べ物だって工業製品と同じように扱われるのは、仕方がないことかもしれない。心配になってくるのは、こんなふうに食べ物が均質化されてしまうと、ひとつ問題が起こったとき、全部だめなってしまうんじゃないかということ。そんなことはきちんとリスク管理されているのか、それとも誰も知ったこっちゃないのか、そのへんはどうなっているのだろう。

9月24日(土)

とくに予定はなかったが、ふと出かけたくなって、午後から家を出る。六甲山カフェに寄ってから、岡本まで散歩。本山市場という市場が取り壊し寸前で、通路だけが残っているような状態なのが、目を引いた。三宮まで阪急で移動して、ハラルフード屋へ。チュニジア産のクスクスを買う。肉まんを食べ、カルディに寄るとセールをしていたが、パン用小麦粉のソレドールは売り切れで、でも結局いろいろ買って帰路につく。うーん、いつからこんなに食べ物をめぐる人になったのだろうか。

9月25日(日)

昨日東急ハンズで買ってきた染料で、ズボンを染める。袋を開けて説明書をみると、お湯で45分煮ろと書いてあった。想定外。大きなたらいにでも入れて、ザブザブかき混ぜればいいだけだと思っていたのに、火にかけなきゃいけないとは。結局、大きめの鍋にズボンを突っ込みぐつぐつと煮たが、しっかりかき混ぜることができず、染めムラが残ってしまった。まあ、そのくらいは味わいということでよしとしよう。

これもチュニジアロケということで「インディージョーンズ」を観ようとしたら、DVDプレーヤーとして使っていたiBookが壊れた。

(T)