8月29日(月)
自分の好きなことを考えてみると、意外にも「美しさ」が原点になっているのかもしれない。野球やサッカーなどの球技に惹かれるのも、突き詰めると、ボールの動きが美しいと思うからだろうし、製品のインターフェイスデザインに惹かれるのも、つまりはそこに美しさを感じるということだろう。
その美しさを、単なる見た目ではなくてスポーツやインターフェイスに感じるということは、かっこ良く言うと、身体的なものとのつながりを意識しているのかもしれない。野球の場合は、バットに当たったボールが反発して飛んで行く感覚や、縫い目が指にかかることでボールに力が伝わり、その回転によってボールが空中を進んで行く感覚。デザインでいうと、ドアノブを押したり、ハンドルを握ったり、階層構造が直感的にわかりやすかったりすること。そういう感覚的なことに興味があるのだと思う。で、その感覚的なものと論理をつなぐものが文章なんじゃないか、といま文章を書いていて思った。
8月30日(火)
ああ、納得できない。そんな気持ちはどこから来るのか? ひとつは不公平感だろう。どうして自分だけこんな目に遭わなくてはいけないんだ、という感情。これは何かとの比較で生まれる感情だ。例えば、仕事ひとつとっても、仕事していない人と比べれば、なんでおれは働かなきゃいけないんだと思うだろうし、よりハードな仕事を抱えている人と比べれば、自分なんてマシなほうだと思うことができる。
だから、比較で考えない方がすっきりするはずだ。でもどうしても比較してしまう。それはなぜだろう? 調和とか釣り合いが取れている環境に、身を置きたいという本能があるのだろうか。
それは少しあるような気がする。同じような境遇の人がグループを作るというのも、余計な比較をして心を乱される心配がないからなのかもしれない。比較はどうしてもしてしまうものだとしたら、比較したくないと思えば、比較しなくて済むグループに入る必要がある。
でも現実には、あらゆる面で釣り合いが取れているグループなんてない。だから人はその場その場で出す自分を変えて、釣り合いが取れるようにしているのだろう。職場での自分を家庭に持ち込むと、釣り合いが取れない。家庭で大事にしているような価値観を職場に持ち込むと、これも釣り合わない。場面場面で釣り合いの取れる自分を出すことができる人は、世渡りのうまい人ということになるのかもしれない。逆に、自分は自分だ、という一枚岩でぶつかろうとすると、ストレスが生じてしまう。それでも一枚岩で行くんだ、それしかできないんだ、という人が、なにかを突破していくのかもしれない。
8月31日(水)
季節ごとに、仕事や住む場所を変えるような暮らしはできないものだろうか。なおかつ安定して暮らせるような。たとえば、1年の半分を日本で、残り半分を海外で暮らすとか、半分を都市で、半分を田舎で暮らすとか…。その場合、仕事はさておき、ネックになるのが家賃だ。半年ごとに家を借りなおすなんて無駄だし、かといって半年家を空けるから、その間は家賃を払わなくていいなんてこともない。結局、別荘を持てるようなお金持ちしかできないことなんだろうか。シェアハウス的な発想で、なにかうまくいかないものかなあ。
9月1日(木)
チュニジア旅行を計画している。今回は何をテーマに旅行するか? いまの自分の興味はどこだろうと考えてみると、食べ物に関すること、というテーマがまず浮かぶ。どういう料理がおいしいかとかいうことではなくて、なんだろう、具体的には農業の風景? 農場とか?
もう旅自体がテーマではない気がしている。プロセスを楽しみたいという意味では旅だけど。そういえば最近「トルコのもう一つの顔
」という本を読んだけど、そのときも「プロセスを描くこと」と「独立していること」が旅を感じさせる本になる条件ではないかと思った。
ということから考えると、プロセスがおもしろそうなことをテーマにすればいいんじゃないか。たとえば、料理から原材料をたどっていくとか。そのプロセスには、農場があり、食品工場があり、食堂があり、家庭がある。そういう場面の展開があって、登場する人の立場も違う。食べものは、家庭から産業を経て、自然とつながっている。自分の興味が向いているのは、そんなところなのかもしれない。
9月2日(金)
同じ、他人のために自分の力を使うということでも、気分よくできる場合とそうでない場合がある。個人の利益のために利用されるというのは、あまり気分のいいものではない。自分の力を吸い取られてしまっているような気になるからだ。でも、困っている人を助けるということは、気分よくできる。「利用」というあたりに問題があるのかもしれない。「人を使う」っていう言い方はやっぱりどうも好きになれないのだ。
9月3日(土)
同居人の実家でマリナーズvsアスレチックスの試合をテレビ観戦。どちらもプレーオフ進出の可能性がないチーム同士で、消化試合の雰囲気がただよう。観客も少なく、気温も低いようで寒そうだ。マリナーズはここのところ何年も低迷が続いている。今年のイチローはまだ200安打の可能性はあるし、その達成を見たいと思う一方で、もう記録のことは考えず、ただ勝利を目指してチームを引っ張って行くイチローを見たい気もする。
9月4日(日)
台風が近くを通過したが、このあたりは思ったより影響がなかったようだ。畑がどうなっているかは気になるけれど。
「シアトルにでも住んでみるか」と冗談まじりに同居人が言う。たしかにシアトルは住んでみたい街だ。オーガニックショップについて学ぶという名目で、行ってみるのもありかもしれない。オーガニックの世界にも裏表があるだろうし、いろいろな矛盾もあろうけど、それも含めて学んでみるというのも意義があるだろう。アメリカの農業じたいも、実際はどうなっているのか興味があるところだ。まあ、マリナーズの試合が近くにあるというのが、自分にとっての一番の魅力なのかもしれないけれど。
(T)