予定にはなかったけれど、エルジェムという遺跡のある町に行きたくなった。これまでの行動が食べることと買い物に集中していて、ちょっとそれに飽きてきた。 というか、それは同行人の好みであり、自分がもっとぐっとくるポイントは別にあるのではないか、という気がしたからだ。
エルジェムには、ローマ時代の円形闘技場(アンフィシアター)がある。いわゆるコロッセウムだ。遺跡がとくに好きなわけではないけれど、スタジアムにはなにか惹かれるものがある。なぜ惹かれるのだろうか? 古代のスタジアムを訪れることで、何かその答えがわかるかもしれない。
エルジェムに着いたのは午後4時ごろ。円形闘技場は5時半に閉まるという。しかも同じチケットで入ることができる博物館もあり、そっちも必見とのことで、うーん、両方見るにはとにかく急がなければ。
まずは闘技場へ向かう。少し離れたところからその建物を目にして、おおっ、と心が躍る。鉄道駅の方から伸びるメインストリートの突き当たりにそれはあり、その風景がいい。まっすぐ伸びる道の正面に大きな建物が建っている。そんな風景にはなにか惹かれるものがある。それはいったいなぜなのだろうか?とか、考えてる前に、時間がないんだった。闘技場に近づくと、なかなか大きい。というか高い。ある程度の広さは想像していたけど、高さはあまりイメージしていなかった。東京ドームいくつ分の広さとかいうけど、スタジアムの一体感には、高さも重要だろうと思う。チケットを買って中に入り、階段を上る。閉場まぎわだからか、観光客はほどんどいない。とくに補強もなく古い石がむき出しで、こんなに高くまで登って大丈夫なのだろうか。ちょっと怖い。一番上まで登って、下を見下ろす。フィールド部分では、グラビアか広告かの撮影をしていた。
セクシーな衣装のモデルがいる。こういう女性には何か惹かれるものがある。それはいったいなぜなのだろうか? 時間はないけれど、この答えだけはもっと近づいて探りたい気がする。でも、同行人の理解が得られないだろう。
フィールドに立つと、パラボラアンテナの中にいるような観衆の目が集中する感覚を体験できる。フィールドの地下部分も通路や部屋があった。野球盤の消える魔球みたいに、地面がパカっと割れる落とし穴的に使われていたらおもしろい。なんてところをもっと歩き回って探検したいけど、時間がない。闘技場を出て、近くにある博物館へ。っていうほどそれは近くなくて、700メートルも離れていた。「出て左の道をまっすぐ行け」というざっくりした地図がチケットの裏に書かれており、それを頼りに進む。ひたすら早歩きしたところなんとか間に合って、博物館の中を見ることができた。モザイク画が美しい。チュニジアはモザイク画が美しいと聞いていたが、モザイク画はとこういうものだったかといまさら理解する。細かなタイルを敷き詰めて描く絵は、いったいどういう手順で作られるのだろう。引いた目と接近した目の両方が要る。ディレクターみたいな人が遠目の位置から指示を出したりするのだと思う。博物館を出て線路を越えると、フェンスで囲まれた荒れ地があった。よく見るとそこも円形闘技場跡のようだった。ほとんど崩れて砂に埋もれたようになっている。採砂場というか、ショベルカーで山を削っている工事現場のような雰囲気。古くからある歴史的な建物の跡が、今はこんな状態になっているということに趣きを感じる。今日はスファックスという街まで移動して泊まる予定にしていた。しかしスファックス行きのルアージュは5時で終わりだという。そうなると、列車で行くしかない。列車の時刻は夜の8時半。それまで時間をつぶす。CDを買ったり、夕食を食べたりする。夕食はカウンター形式の軽食屋で、フリカッセという揚げパンサンドイッチのようなものを食べた。隣のおじさんに「何食べてるの?」と訊くと、「チュニジアンサラダだよ」と教えてくれたあと、店の人に何か言う。しばらくすると、そのチュニジアンサラダがこちらに運ばれてきた。おごってくれたみたいだ。ありがたい。食べてみると、見た目以上に辛く、でもおいしいので汗をかきながら食べたが、少し残してしまった。カフェで時間をつぶしていたが寒くなってきた。駅の待合室に行く。そこには男性がひとり同じように列車を待っていた。話をすると、大学教授をやっているという。専門はイスラム経済学で、著書もあるそうだ。アマゾンで見つけられるよとURLを書いてくれた。30〜40歳くらいだろうか。チュニジア人には珍しい、おとなしそうなタイプの人だった。
彼はかつてフランスやドイツに住んでいて、今はここの大学で教えている。今日は家族がいるガベスの町に帰るところだそうだ。ちょっと暗い影があるように感じたのは気のせいか。華やかでアカデミックなヨーロッパから戻って、チュニジアの小さな町で教鞭をとっていることに満足していないのかもしれない。と勝手な想 像をした。
列車を待っていると「スファックス行きの電車は少し遅れる模様だ」と、駅員が言う。「スファックスじゃなくて、いっそその次の列車でガベスまで行ったらどうだい? 夜遅く着いてホテルを探すのはおすすめしないよ」スファックスは、あまりいいとは言えない街だからね。そんな言葉に大学教授も頷き「そうだ。スファックスはよくない。ガベスはいいところだ。ガベスには早朝着くから、ホテル代が一泊分節約になるだろう」ガベスに行くことに決めた。結局その列車も遅れが出て、列車が来たのは深夜1時半ごろ。乗り込むと、乗客が座席でぐったりと眠りこけていた。兵士が多い。みな銃撃を受けて倒れたように眠っていた。