イスラム教の年中行事として最大の祭りのひとつ犠牲祭。計画していたわけではなく、たまたまそんな話が聞こえてきて、誘われてみたら、それは帰国するまさにその日なのだった。
砂漠の町ドゥーズで仲良くなった家族は、私たちの帰国日と時間を聞いて、「間に合う。直前に飛行機でチュニスに戻ればいい。」と言ってくれたが、それでは首都であるチュニスをぜんぜん見ることなく旅行が終了してしまう。ちょっと強引な祭りへのお誘いはお礼を言って辞退した。しかし犠牲祭がある、と知ってからはどこへ行っても羊の売り買いが見られたし、ナイフやまな板、焼き網やお皿、藁など関連商品の売り買いが非常に活発で、ここだけ見たらなんて経済活動が激しい国なんだ、と思っただろう。しかしこれは、正月前の黒門市場か錦市場、東京で言えば築地なのかわからんが、そんな状態であって普段着のチュニジアではない。スーパーマーケットでも棚がどんどん空いていくのだ。さて、帰国日そして犠牲祭当日のチュニス。
車どおりも少なく空気は澄んでやっぱりどこかお正月のよう。町中のお店は95%くらい閉まっていて、あちらこちらで子供たちが羊に縄をつけて散歩している姿を目にした。時折、逃げ出した羊を追いかける騒動も見られた。羊も必死である。私たちはというと、羊をしめるその現場に立ち会おうと、飛行機に乗る3時間ちょい前である12:00をタイムリミットに設定してチュニスのメディナ(旧市街)をぶらついていた。
朝方は、羊を追い掛け回して遊ぶ子供たちが、そこここで見られたのに、だんだん少なくなってきた。羊の鳴き声だけが聞こえている。 中庭で作業をしている家が多いようだ。それでも、中庭のないお宅の玄関先でもう皮を剥がれた羊がぶら下がっていた。すごいいい手つきの父と息子がどんどんとさばいていく。と、ある程度終わったところで、若奥さんがその2人にお金を渡した。この親子はさばき屋さんだったのだ。なぜか自転車のポンプが入ったカゴを持って、次なるお客さんのところへ行ってしまった。この玄関先でさばいた羊のレバーをさっそくごちそうになってしまった。見たところ、レバーの全量を焼いて出してくれたようで申し訳なく、少し食べて返そうとしたが、全部食べろと言われたので食べた。この家庭には男手がないようで、少し陰のある奥さんが印象的だった。