2011年9月の日記(その3)

9月12日(月)

十五夜。同居人が作った月見団子を食べる。月は見たっけな。見たような気がする。

9月13日(火)

中沢新一「緑の資本論

」を読んでいる。利子を認めないイスラム教の話や、9.11のテロをアート作品と言った(言わせられた)音楽家の話、そして「もの」と人との関係。そういう話が書かれている。

文中に「貨幣はすべてを均質化することによって、無限の概念を経済界に導入する」という一節があった。すべてを均質にするのが貨幣というところに、考えさせられる。先週末にうちのプチ田んぼでも稲刈りして米が穫れたけど、自分で作った米と、会社で働いて得たお金で買う米は同じなんだろうか? いや、米の種類や品質の話ではなくて、意味合いとして。なにか同じじゃないような気がする。

たとえば、知り合いの田んぼの稲刈りを手伝って、そのお礼にもらう米なら、「同じ」だと思う。でも、それがお金を介したやりとりになると、なにか別の回路を通ったものになるように感じる。もちろん会社で働いて得たお金も、だれかの役に立って得たお金であって、それが回り回ってお米に代わった、ということは理解できるのだけど。

うーん、誰から買うのか、ということが重要なのだろうか。お金が回り回っていく巨大なブラックボックスが、何かを狂わせているのだろうか。そういうことの善し悪しを断じることは自分にはできないけれど、自分(や知人)が作った米を食べるのと、会社からもらった給料で米を買って食べることは、なにか根本的に違うのではないかと思っている。

って、自分はなんでこんなこと考えてるんだっけ? そう、同居人が現金収入班とか言うから、お金について考えてるのだ。(ごちゃごちゃ言わんとお金持って帰ってこんかい、と同居人は言いたいかもしれない)

夕食に、シカクマメをシナモン味で炒めたもの。スリランカ風らしい。

9月14日(水)

社会で役に立つのはうれしいものだ。でも一方で、社会に働かされるという強制力のようなものもある。誰が誰に強制しているというわけではなくて、社会全体にあるプレッシャーのようなもの。例えば、ミスや間違いを許さない雰囲気とか、休みを取ることに肩身を狭く感じてしまう空気とか。その力は環境から受けるものだけど、半分は自分の中に勝手に作り出しているものだろう。そういう強制力の波をもろにかぶるのではなく、半分だけ体を外に出していたいなあと思う。

9月15日(木)

自分の子供を守りたい、という気持ちだけでは、世の中を良くしていけいないんじゃないだろうか。そんなことをふと思う。まず時間の感覚の問題。子供につけを回すなとか、子供を守れと言っても、子供が大人になるまでの時間は、高々20年だろう。孫の代までと言っても、まあ50年くらいだ。失われた10年とか言って、とくに何も変わらずこの10年くらいが過ぎ去っていったことを考えると、子供を…という視点は、時間的に短すぎるんじゃないかと思えてくる。たとえば地震やエネルギー問題を考えるには、もっと長い視点が必要だろう。何年くらいのスパンで「未来」を考えるのか、ということをまず考えないといけない気がする。

夕食はイワシのポルトガル焼き。毎週木曜日は、伊勢の魚屋さんが近所に出張してくるのだ。いや今日のはスーパーのイワシだったのかもしれない。

9月16日(金)

奄美大島に、O(オー)ターンする人が増えているらしい。同居人がラジオのニュースで聞いたそうだ。半分都会で暮らして、残りの半分を別の場所で暮らす。そういうことをやってみたい、と自分も思っている。でも、実際は、仕事や収入や家賃や、いろいろ課題はありそうだ。うまく暮らしを交換してシェアできればいいのだけど、そうはうまくいかないのかもしれない。現実的な第一歩はあるだろうか。

ゲームナイトに参加。ゲームがあることで、知らない人とも打ち解けられるので、いい試みだなあと思う。段ボールのデザインをしている人と話をする。自分の中にもデザイン的なものに対する気持ちが刺激された。コミュニケーションとかデザインとか、そういう方向にも興味が向いているのかもしれない。それと、旅行したり、畑をやったりしていることと、どういうつながりがあるのかわからないけれど。

9月17日(土)

Itaminhosさんとこの稲刈りに参加。雨で危ぶまれたけど、晴れたので決行となった。当たり前だけど、うちのプチ田んぼとは規模が違う。土がぬかるんでいたので、それに少し体力を奪われる。

稲を刈って、結わえる作業、稲木を組む作業、稲の束を重なるように干していく作業、それぞれ体験できて勉強になった。コンバインで刈れば一瞬で脱穀されたお米が集まる。それに比べると、はるかに手間のかかる作業だ。機械式との大きな違いは、刈り取ったあと、稲木に吊るして天日で干すのか、すぐに機械乾燥させるのか、という点。味が違ってくるとしたら、おそらくそこがポイントだろうと思う。

午前中に半面分をすませたあと、昼食。午後からは、雨が降り出して、後半は延期ということになった。手作業は比較的臨機応変にできるけど、コンバインの場合は稲が乾いているときに刈ってしまわないといけないので、天気の見極めが難しいそうだ。しかし、稲刈りの手伝いをしてるなんて、数年前までは思いもよらなかった。帰りにItaminhosさんのお母さん手作りのケーキをお土産にもらった。でも、タッパーごともらっていいか聞かず、そのまま受け取ってしまった。次回行ったとき返そう。

9月18日(日)

京都にあるポッドキャスト仲間?の家に遊びに行く。昼食にFがラグメンとシェントウジャンを作る。好評でよかった。経営しているネットショップは、なかなかたいへんそうだけど、がんばっているみたい。もうすぐ自宅兼リアルショップが滋賀にできるそうで、楽しみだ。

チュニジア行きの予習にと「革命と独裁のアラブ

」を読む。独裁者ではなく、独裁者の家族が放蕩して、国民の不満が高まる、という話に妙に納得してしまった。

(T)