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大学時代の野球部の同期と会う。夫婦交えて、知人に教えてもらった串カツ屋で飲食した。
奥さんはマンガを読むのが好きだと言う。その結果、かどうかは知らないが、国家資格を取り、大学院でMBAも取っている。自分は普段マンガをあまり読まないが、もっと読んでみたい気持ちはある。マンガは文字と絵を組み合わせた高度な情報伝達手段だと言われるし。でも何となく、かさばる感じがするので敬遠している気がする。電子化されているものならいいのかもしれない。
仕事的に順調そうな彼らと話をしていて、自分のことも考える。自分はある分野で仕事をしているけど、消費者としてその商品を買っているわけではない。そのサイクルの外に自分の生活はある。そのへんに何か問題がある気がする。他人の問題を解決するサービス業として考えればいいのかもしれないけど、何か落ち着かない。
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DVDで映画をレンタルしてきた。マンガレンタルというのもやっていて、昨日マンガの話を聞いたことに影響されたのか、それにもちょっと惹かれた。流行というか、みんながマンガを通して知っていることに、キャッチアップしたいという意識があるのかもしれない。
借りた映画は「おいしい生活
」「ブレードランナー」「ビッグ」の3つ。マイケルムーアの「キャピタリズム」も気になったが、そんなにたくさん観れないのでやめておいた。「キャピタリズム」を観たいのも、なんとなく知識欲のようなものから来ている気がする。
この前ネットの何かに「情報はタダだけど、(文脈を与えて)知識にしたら売れる」というようなことが書いてあった。たしかに自分は知識を欲しているのかもしれない。一方でアンチ知識の気持ちもある。いくら物事を知っていても幸せになれない。大事なのはそれを楽しみ味わうことだ。そんなふうにも思っている。でもこれは意識してやらないと難しい。わかりやすい損得に簡単に流されてしまうからだ。
ということで、早速観る。まず「おいしい生活」これはウディアレン好きの妻が選んだ。しがない夫婦がひょんなことから始めたクッキー屋が当たり、大金持ちになるというストーリー。ニューヨークが舞台だ。感想はまだ思い浮かばない。
次が「ブレードランナー」。命を狙って追ってくる人というのは恐ろしい。当たり前だけど。映画好きの人に評価が高い映画だが、たしかに日本とアメリカがごっちゃになったような近未来の街の雰囲気は独特の世界だ。
でも設定が2019年のロスとあり、それってもうすぐじゃないかと思う。現実の時代はこんなふうには変わっていない。近い将来、時代が大きく変わって今とは別世界になっている……というイマジネーションは今では持てないのかもしれない。だから大災害がやってきてパニックみたいな映画が多くなるのだろう。かつて世界を変えてくれそうなのは、宇宙開発でありテクノロジーだったけど、今はそれがない。だから昔の話が多くなる。自分もこうやってひと昔前の映画を観ている。
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朝起きると体がだるい。風邪のひき始めかもしれない。今日は成田山に節分の豆まきを見に行くことになっていた。迷ったあげく予定通り行くことにした。要は有名人やその他の人が豆(ピーナッツ)を撒いて、それを群衆が受け取るという行事だけど、何がそんなに楽しいのかわからない、と思って最初は群衆に近寄らないようにしていた。
1回目の豆まきが終わり、昼食に弁当を食べたあと、2回目。最初の芸能人が出る回とは違って、今回は比較的群衆も少なめだ。妻は布袋を広げて豆を受け、自分はバイクのヘルメットで受ける。それなりの数をゲットしたと思ったが、妻に言わせると「やる気ない人は少ないな〜」とのこと。
何が楽しいのかと思っていたが、実際、上からまかれる豆をキャッチするというのがゲームみたいでおもしろく、妻が張り切るのもわかる気がした。豆の妙な滞空時間の長さというか浮遊する感じがあり、下から見上げながら落下場所に合わせて手を差し出すのが、意外と難しい。
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市の映画鑑賞会に行く。「つみきのいえ
」と「地球にやさしい生活」の2本。短編アニメの「つみきのいえ」はぐっと来る感じ。自分の家族のヒストリーについて思いを巡らせてしまう。家族というのはヒストリーを振り返るのに効果的な仕組みなのかもしれない、とか思う。
「地球に―」はニューヨークというばりばりの都会で、ある家族がエコ的な生活を試みるというドキュメンタリー映画(原題は「No Impact man」)。単なるエコ映画というよりは、エコ的な生活を大々的に世にさらすとどうなるのか?ということの方に興味を持った。エコを主張すると浮いてしまうというのは、もう当たり前みたいなことになっているように思う。そこを批判覚悟であえてやるというところに、この映画のおもしろさがある。つまり社会のお約束ごとに抵抗してみるとどうなる?というドキュメンタリーだ。それをやることで批判も来るけれど、自分たちの居心地のよいポジションが見つかることもある。この映画を観ていると、そんな気がした。
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風邪の妻に代わって食事を作ろうとしたが(妻の指示のもと)、その手順の複雑さに頭が痛くなった。まったく日本の料理はすごいと思う。2品も3品も平行して作るなんて、頭がパンクしそうだ。外国だったら、毎食1品、ほぼ毎日同じ献立でもOKなんじゃないか。国が違えば、自分も料理できる人として胸を張れるくらいになっていたかもしれない。あ、でもスリランカ料理は複雑そうだった。ワンプレートで出されることが多いけど、おかずは必ず数品ある。そういえば韓国やミャンマーもそんな感じか。まあつまり、料理はいかに手順を組み立てるかが大事だなと思ったということ。
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あるアイデアを思いついたときのプロセスを振り返ってみる。まず2つの対立する意見があった。そのどちらがいいかを競うのもいいが、そうではなく、その両方に共通する思いがあるんじゃないか。それを探ることで新しいアイデアが出てきた。この方法はこれからも使えるんじゃないかと思う。
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この前観た映画「ビッグ」が良かった。トムハンクス主演のアメリカ映画。たぶん1980年代ごろの作品だろう。少年がお気に入りの女の子に好かれたいと思って、遊園地のコイン神様に「大きくしてください」と頼む。翌朝目が覚めると、体だけ大人になっていた……と、話だけ聞くと、ありがちな設定、とか思うけど、これが今観てもなかなかいい感じの映画だった。こんなことあり得ない、とかいちいち思わないし、むしろすごくリアルな話のように感じるというか、映画の世界に身を任せられるというか。
それは自分が大人も子どもも、両方経験しているからかもしれない。この映画の前半では、子どもの目から見た大人の世界を体験させてくれるが、後半では「子ども」のトムハンクスが、子どもならでは能力を発揮しておもちゃ会社の幹部に抜擢され、だんだん子どもらしさを失っていく。そして今度は大人の目で子どもの世界を眺めることになる。そうやって、子どもと大人の両方の視点から、当時のアメリカの様子を見せてくれる映画だ。とくにトムハンクスがおもちゃ会社の社長と足踏みピアノ?を連弾するシーンは、大人と子どもの世界が出会ったようで感動的だった。こういうのを観ると、アメリカ映画っていいなあと思う。
」という本が面白かった。なるほどと思うことあり、そうそうと頷くところありで、著者の寄藤さんがどういうふうに考えているのかその頭の中をのぞける本だ。なんというか、自分も自分なりに考えていいんだ、そんな気にさせられる。
「絵と言葉が合わさると別のものになる」という考え方にはっとさせられる。自分の仕事の中でも絵と言葉が分断されているようなことによく出会うし、それに対して無力な自分に対して後ろめたい気持ちがある。そういう気持ちを自覚させてもらった。そこにはいろいろ仕組み上の問題もあるし、個人の意識では簡単に動かせない壁があるように感じる。でも寄藤さんが成功しているのは、その壁に挑もうとしているからだろう。この本の後半で紹介されている書籍もおもしろそうなものばかりだった。
」という映画を観た。はじめはマイケルムーアのキャピタリズムを観ようかと思っていたけど、妻がこっちのほうに興味を示したし、自分も一度観てみたいと思っていたこともあって、これを選んだ。監督のスパーロックさんはこういう体当たり的、自分でやってみよう的な映画が得意な人で、ビンラディンを探しにいく映画もおもしろかった。率直で普通の人の感覚を持っていそうだし、ウィットもある。
毎日毎食の食事をすべてマクドナルドで済ませたらどうなるか?というのがこの映画のメインテーマだけど、まず驚いたのはアメリカの学校給食について。公立学校の給食は企業に外注されていて、生徒は好きな物を選んで買って食べる仕組みなのだが、ほとんどお菓子のようなものか甘いか脂っこいか……要はジャンクなものしか食べていない感じだった。この映画はもう10年くらい前のものなので、いろいろ変わってはいるのだろうけど、日本の給食と比べたら全然違う。
マクドナルドについては、タイトルにもなっている「スーパーサイズ」の異常な大きさに驚く。でもこの映画が公開された頃から風向きが変わってきて、今ではアメリカでも炭酸飲料をやめようという動きになっているのは感慨深い。あとロビイストを専門にやる会社がアメリカにはあることも、この映画を見てわかった。
ビッグマックをほぼ毎日食べ続けて、計何万食も食べたという人も登場していた。それはそれですごいと思う。ジョンレノンみたいな風貌のその人は意外と太ってなくて、聞くとポテトは食べず、とにかくビッグマックが大好きでそれだけ食べるのだそうだ。きっと世の中には、この映画を観てマクドナルドに行きたくなる人と、行きたくなくなる人がいるんだろうな。
実はこの映画を観る前、風邪の妻に代わって(といっても妻の指示を受けながら)夕食を作ったのだけど、その手順の多さに辟易していたのだった。もし自分が一からやるならできるだけシンプルにして短時間ででき上がるような料理を目指すだろう。何皿も必要なし。一皿で十分。とか思っていたけど、そういう気持ちの行く末が、スーパーサイズミーな世界なんだろう。食事の効率化と満足度に最大にしようと突き詰めれば、そういうことになる。いや別に突き詰める気はないんだけど。
」という本を読んだ。フランスの郊外には、おもに移民の人など所得の低い人が暮らしている団地(シテ)がある。そこで育った少年が青年になるまでの物語を描いた小説だ。著者はアルジェリア系の移民で、子ども時代から思春期の自らの経験を重ね合わせて書いているのだと思う。シテで育った子どもは大人になって、ある者はサッカーのスター選手になり、ある者はビジネスで成功し、ある者はドラッグで命を落とす。波瀾万丈で振れ幅の大きい人生を歩む。そんな世界の一端を主人公の目でのぞかせてくれるが、それに加えて、普遍的な「男の子」が描かれているところが、この小説が小説になっているポイントだろう。この世界で育って小説家になった著者自身にも興味が湧いた。
」
経済の本を手に取ってしまうのは、世の中を俯瞰して見たいという気持ちがあるからなのだろう。そしてそれを次に自分が進むための指針にしたい。自分の地図を作ってそれを元に進路を決めていきたい。そんな気持ちがあるのだと思う。
この本で面白かったのは、規制により経済を発展させようという視点。ふつうは規制をなくして自由化したら経済が活発になると思いがちだ。でも必ずしもそうとも限らず、逆にたとえば環境への影響を考えて何かを規制すると、それをクリアするための技術が育つ。そしてその技術が国際的にも競争力を持つようになる。だから国は戦略的に規制を考えていかなければならない、というような話だ。
たしかに文化などでも同じようなことが言えるかもしれない。たとえば戦争で言論が弾圧されたら、それを回避するような、表立っては言えないけど暗にほのめかすような、そういう表現技術が育つ。いま平行して読んでいる戦争時のロシアを舞台にした「卵をめぐる祖父の戦争」という本にも、そのようなことが起こったと書かれていた。スポーツもルールがあるからレベルアップしてきたのだろう。うまいルールを作れば、新しい力や方法が生まれる。こういうことは昔から言われてきたのかもしれないけど、政治経済の世界にそれを当てはめるというところが面白いと思った。
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」
第二次世界大戦時のロシアのレニングラード(サンクトペテルブルグ)を舞台にした小説。筆者と同名の人物が自分の祖父に聞いた話、というスタイルを取っているため実話っぽく読めるけど、フィクションの小説だ。ただ書かれている背景、ドイツがロシアに侵攻しレニングラードを90日間包囲したというのは本当の話である。その間、住民は飢えに苦しみ、秘密警察は粛正を行い……といったことも実際にあったことだ。
そんな暗くて恐ろしい時代という背景を除けば、この物語はある意味とてもポップだ。読者を引きつけるストーリー展開、キャラクターが際立つ登場人物、そして性と暴力。そういう要素が揃っていて、エンターテイメントとしてとても面白い。詳しくは書かないけど、たぶん読んだ人はみな登場人物の誰かに魅了されてしまうと思う。
しかし、そのポップなストーリーの背後にあるのはやはり戦争の恐ろしさだ。平常ならちょっとした遊びや賭けやゲームのようなことが、戦争時には即、死という結果になる。今の日本のような世の中で、例えばちょっとしたお金を払うくらいの感覚で、命が犠牲になる。物や利益の代償としてお金ではなくて命が支払われる。お金の貿易をするのではなくて、国と国が命で貿易をしている。それが戦争なのかもしれない。
戦争という仕組みが発動されてしまったら、人は簡単に逃れられない。お金の経済から簡単に抜け出せないのと同じだ。何かが崩壊するまで続けられる。やはり最後は戦争というものの怖さが強く印象に残る本だった。