南米をバイクで旅行することにしたわけ

2000年アフリカ

ひょんなことからアフリカをバイク(の後部座席)にまたがり1年ほど周遊した。

スペインからモロッコへ渡り、西アフリカから南アフリカ、東アフリカと周り、1年が経つころ相棒に言われた。

「これ以上は無理。中央アフリカに入っていくのに、二人乗りは危険すぎるし重過ぎる。やりたかったら免許取れ」と。

悔しかったが、免許がないし、運転の仕方もわからなかった私は、あっさりと日本へ帰国。

しかし、ただ帰ったわけではなかった。

すぐにバイトを探し、バイク免許を取るべく教習所を予約。

1年は瞬く間にすぎ、私の手元には短期派遣仕事やウェイトレスで貯めた100万円と中型免許があった。

2002年ユーラシア

すぐさま、ドイツで資金稼ぎをしていた相棒に合流。

中古の250ccオフロードバイクを、新聞の売ります買います欄でチェックして購入し、旅行の準備に入る。

したがって、まったくの公道デビューは右側通行のドイツ、シュトゥットガルトの街中となった。

何度もエンストし、その辺の人に声をかけて、押しがけを手伝ってもらったり(本当に古くてよく止まるバイクだった)

エンジンもスイッチがあるわけではないので、キックスタートをしてもらった(なかなかできるようにならなかった)りした。

2002年初旬、2台でドイツを出発、東欧を抜け、バルト三国に寄り道しつつグルジアやトルコ、イラン、トルクメニスタンなどからキルギスタン、そこからトルガルト峠を越えてカラコルムハイウェーを南へ、中国の新疆ウイグル自治区を抜けて、パキスタンへ出た。

インド、ネパールと走ってエベレスト周りをトレッキングしたりしたら、ついにお金も尽き、バイクをカトマンドゥーで売りに出した。ひと月ほどで買い手がついた。ドイツ人旅行者だった。なんと、その人は、私のバイクに乗ってアフガニスタン経由でドイツまで帰ってしまった。図らずもこのバイクはドイツtoドイツをやってのけたのだった、スゴイ。私のところに来たときからすでにオンボロだったのに。

2005年日本

これで1年半ぶりくらいで2003年半ばに日本に帰国したのだが、

しばらくたったら、また行きたくなってきた。経験者がみな口をそろえて「いいよね~」という「南米大陸」に行ってみるなら今しかない、という気になってきた。もう一人でも行けるのではないかという自信もついてきていた。問題はバイクについての知識が全然ないままだということ。そこで日本製新車のオフロードバイク200ccを購入。これならば壊れるといっても、知れている(とバイクに詳しい方々が言った)。淀川の河原で、さぁ、この何もないところでパンクしましたどうしましょう、というトレーニングを2回ほどしてから北海道を数週間ツーリングし、準備完了。さぁ、南米に行こう。行ける!と俄然盛り上がってきたのだった。

出発準備については、次回また。

Sossusvlei,Namibia

Georgia

Hunza,Pakistan

Kut-char lake,Hokkaido