2011年5月の日記(その2)

5月9日(月) 色気

昨日行った五六市は手作り品を中心とした店が出ているのだけど、実際、人がよく集まっているのは、コーヒーだったり、派手な色のシロップをかけたかき氷だった。

そこに共通するのは「色気」ではないだろうか。コーヒーの刺激も、かき氷の鮮やかな色やキラキラした感じも色気のひとつと言えそうだ。きっと人を惹きつけるには安心安全だけでは物足りなくて、何かしらの色気が必要なのだろう。恋愛や性的なものに結びつくような。

ふと旅行というのも、出会いを求めたり非日常を求めたり、そういう色気のパートをなすものなんじゃないかと思った。

5月10日(火) ホームページのテーマなど

新しく作るホームページに何を書いたらいいのか考える。テーマとしては、自分たちのこれまでのことを紹介しつつ(過去のこと)、新しい暮らしに向けた変化を記録しつつ(現在のこと)、次につなげる道を模索する(未来のこと)。そんなところだろうか。

いったい自分は何がしたいのか? なんて、考えているとわからなくなってくる。だから反対に何もしなかった場合を考えてみると、3つの不安が出てきた。(1)生活の不安、(2)人生が充実しないのではないかという不安、(3)孤立するんじゃないかという不安。ということは、この逆のことがやりたいことなのだろう。

今年マンション自治会の会長をやっている関係で、同居人が同じマンションの若奥さんを家に招いたそうだ。「えー、こんなかわいい板とかどこで買うんですか?」「この照明もかわいい」 板はゴミ捨て場からいただいてきたもので、照明は手ごろなものがないので裸電球をつけているなのだけど。いつもと違う視点が持ち込まれると、新鮮な気分になる。

5月11日(水) 未来

なんか、いろいろ本を読んだりしていると、ビジネスというものに未来はないように思えてくる。大量の商品を売り買いしたり、お金だけを動かすような経済は、いずれ衰退していくんじゃないだろうか。これまで成長し過ぎたんだから、これはもうしょうがないのかもしれない。このまえ読んだ「スモール・イズ・ビューティフル

」にもこんな一節。「自然界において成長は神秘に満ちているが、それ以上に神秘的なのは、成長がおのずと止まることである。」

まあウチはほとんど経済成長してないし、商品もあまり買わなくなっている。それをとくに悲しいことだとは思ってない。というのが、経済成長しない社会を予測する根拠だけど、でも別に予測する必要もないか。結局、自分たちが何を選ぶかの問題であって、その結果が未来となって表れるのだろうから。

5月12日(木) カフェにて

コーヒショップで朝カフェしていると、窓越しにおばあちゃんが近づいてきた。何かと思って顔を上げると、おばあちゃんは割引券みたいなものを取り出し、「これをあげる」というジェスチャー。「オ、オレ?」(カズ風に)「そうよ」

外に出ると、おばあちゃんは笑顔でこのコーヒーショップで使える割引券を2枚くれた。こちらも笑顔でお礼を言うしかない。なんだか胸がいっぱいになった。割引券だなんだって、使わなければ捨ててしまえばいい話だ。おばあちゃんは、それをわざわざこの店の前まで持って来て、中にいる人を見つけ、意思疎通をはかり、笑顔で手渡すという行動をした。そう、このぼくのために……かどうかはわからないけど、少なくともコミュニケーションしようという気持ちがおばあちゃんの中にあって、その相手に自分が選ばれたというのは、なんだかうれしい。

朝、早めに家を出てカフェでコーヒーを飲むという習慣が、今日の出来事をもたらしてくれた。早足で職場に向かうだけの毎日だったら、出会えない瞬間だった。窓際に座るようにしている習慣も不可欠だった。日々の細かい習慣や行動が、いろんな出会いや人生を形作る。なんてことが、ちょっとだけ納得できた気がした。

5月13日(金) ふたたびカフェにて

またカフェの話だけど、今日は飲み残しのコーヒーを持ち帰るために紙コップをもらった。ここのコーヒーは出勤前に飲み切るには少し量が多く、でも残すのはもったいないし、かといって無理に飲み干すのもなんだかなあと思っていたからだ。だから紙コップをもらった。それだけのことだけど、周りの人がやらないことをするというのは少し勇気がいる。でもやってみると、案外それは気分のいい結果になったりする。

5月14日(土) 雨が楽しみ

今日は晴れたけど、今週はずっと雨だった。でも畑に播いた種が発芽してくるんじゃないかと思うと、なんだか楽しみだ。っていつから自分はそんなことを思うような人間になったんだろう。

5月15日(日)

葛城山登山とバーベキュー。