2011年5月の日記(その4)

5月23日(月)

坂口恭平氏の新政府はなにか自給自足コミュニティみたいになってるみたいだ。でも坂口氏のすごいところは、それを別世界と言わずに別レイヤーと言っていることだと思う。今ある社会と共存する。ぶつからない。でも別のものがそこにある。そういう考え。

同居人がおやきを作ったので食べる。焼きたてはおいしい。うまくいけばリュックサックマーケットで売ってみたい。

5月24日(火)

自分の感覚で、自分の判断で、自分の進む道を決めている人のことがまぶしく見える。坂口氏とかミシマ社の三島さんとか、農業をやってる人とか。農業にあこがれるのは、やり始めた瞬間から自分がリーダーになれるからだろう。

ちなみにぜんぜん関係ないけど、今働いている会社の社長は怒るとなぜか敬語になる。

5月25日(水)

苦しいけどがまんしてやっている。それが世の中というものだ。そう言われると返す言葉がない。でも「インパラの朝」の著者はこう書いていた。「人生を精いっぱい楽しむ権利がある」と。それを表明したことは勇気がある。

自分の感覚が冴えわたっている状態に入りたい。それが究極の目標なんじゃないだろうか。

5月26日(木)

日経ビジネスオンラインの記事によると、情報量がありすぎると意思決定の質が下がってしまう、ということが最近の研究で明らかになっているそうだ。「簡単な問題は情報分析を用いて合理的に行い、複雑な問題は直観に従え」ということのようで、なんとなく納得した。

5月27日(金)

もう梅雨入りだって? 早くない? マンションの回覧板に「新緑の季節になりました」って時候の挨拶を書いて回したばかりだったのに。

5月28日(土)

福島県の白河に住んでいる友人夫妻が遊びに来た。昼食にタコスを準備しておこうと作り始めたところ、参考にしたネットのレシピがおおざっぱで、生地に入れる水の分量を多くしすぎてしまった。あわてて粉を足すなど復旧作業をして、友人が来るぎりぎりのタイミングで完成。彼らが少し道に迷ってくれたのが幸いした。

白河はほぼ普段通りの生活だという。でも原発の事故が影を落としている。見えない不安があるらしい。地震直後はガソリン戦争だったと言っていた。ガソリンが不足する中、いつでも逃げ出せる用のガソリンを確保しつつ、日常に必要なガソリンを給油しなければならない。徹夜でスタンドに並んだりしたそうだ。今回大阪に遊びに来たのは思いつきというかリフレッシュのようだったけど、また白河にも遊びに来て欲しそうだった。誰も来てくれないというのは想像するだけでさびしいことだ。

5月29日(日)

朝から京都へ。昨日うちに遊びに来た白河の夫婦が今日は京都にいるはずなので、どこかで合流できるかと思ったけど、うまく連絡がつかず結局会えなかった。Tawawaというビュッフェ形式のレストランで昼食を食べる。地元で採れる野菜を中心としたメニューを提供していて、ずいぶん賑わっていた。生産者密着を特徴とするレストランがこれだけ賑わっているのを見ると、何か希望を感じる。自分自身も食事に満足した。これで1200円はお得な気がする。野菜もきちんと作れば売れるんじゃないか、といつの間にか生産者目線で考えていた。

(T)