フィルム1本分の写真を撮り終えたので、ケロアンの街の写真屋で、現像とプリントを頼んだ。夜7時くらいに出して、翌日の朝9時ごろに受け取り可能だと言う。
翌朝、引き取りに行くと、他のお客さんもいる中、写真はカウンターの上に無造作に置かれていた。プライバシーみたいなことはとくに考慮されていないようだ。別にかまわないけど。フィルムも日本のようにスリーブに入れて戻してくれるのではなく、そのまま丸めてフィルムケースに入れて、はいって感じ。これはこれで省スペースなのがありがたい。プリントは、サイズしか指定しなかったけど、白いふち付きで、色もちょっとレトロな雰囲気の仕上がりになっていた(フィルム自体が古かったせいもあるかもしれない)。写真を撮って、現地でプリントまでしてしまうというのは、なかなか悪くない。日本でのフィルム現像・プリントの代金は年々値上がりしているから、物価の安いところで済ませると節約になるし、空港の荷物検査のX線で感光してしまう心配もない。
何より、日本のプリントひと味違った風合いの写真になるのがおもしろい。フィルム写真の面白さのひとつは、プリントされてくるまでどんな写真かわからないことだ。「こんなものがこんなふうに写っていたのか!」と、あらためて発見できることが、写真の楽しさだと思う。
ところで、ドゥーズの町で2本目のフィルムを撮り終わり、カメラからフィルムを取り出したところ、「ん? なんだこのテープは?」装填するときには気がつかなかったが、フィルムに小さなガムテープの切れ端が貼付けてある。思うに、おそらくこれはかつて自分で貼ったものだ。何かの目印として…。いやな予感がする。このフィルムは何かしら特別であり、それを未来の自分に伝えるためにテープを貼ったのだ。不安を覚えながら、チュニスの写真屋で現像に出してみた。翌日、引き取りにいくと、パパラッチという名のこの店にいたおじさんは、首を横に振っていた。「ブラック、オール、ブラック」
何も写っていない。すべて感光してしまっていると言う。ああ、やっぱりそういうことだったか。ガムテープの切れ端は、「このフィルムは使えない」という意味の目印だったのだ。もっとわかるように書いとけよ…と過去の自分を恨んだのだった。