東北日記

人生3回目の東北は、宮城県南三陸町へのボランティアバスツアー。

大阪府生協連合会が主催している。参加費は5000円で保険が700円、これにはバス代、ホテル1泊代、ホテルでの夕食朝食、活動中のお弁当2食分が含まれている。

夜に大阪を出発して、翌朝、現地に到着後、作業。その日はホテルに宿泊。翌日も作業。その日の晩に帰路につき、翌朝大阪着となる。

作業自体は全部足しても最大で12時間程度である。

前回の経験から、ボランティアに求められていることは労働力だけではない、ということがわかってきた。東北のことを忘れないこと、自分の目で見て知って周りに伝えていくことも大事だということ。

バスは大阪を19:30に出発した。最初の多賀サービスエリアで、夕食休憩で長めに停まった。ドライカレー、煮卵入りお弁当を持ってきていた。まだ誰とも仲良くなっていないので一人、われながらお弁当がよくできていてこれは売れる、とか思いながら食べた。その後も2時間ごとにトイレ休憩、運転手さんの交替を挟みながら名神、北陸道、磐越、東北自動車道と進む。満月に近い月が福島県あたりの田んぼの上に上がり、細くたなびく雲がその月に縞々模様を作っていて、まるで違う星のようで幻想的だった。22:00に消灯してからはカーテンを閉めることになっているのだが、閉める前に眠ってしまった人の窓の部分から対向車の明かりが激しく入って眠りは浅く、気がついたらもう朝食予定のサービスエリアに到着だった。

持ってきたシナモンレーズンベーグルとりんご、ポットに紅茶を入れて飲む。雨がしとしと降っていて思ったよりも肌寒く、腹巻を持ってきてよかったと思い、タイツとかも持ってくればよかったと思った。ここで作業服に着替えを済まし、高速を降りて南三陸町に近い道の駅で、今日の作業の仲介をしてくれるNツアーの方と合流した。

当初、1日目の作業はビニールハウス内の清掃の予定だったが、変更があり、ビニールハウス内で輪菊農家の花芽欠き作業となった。畑でいつもやっているようなことの延長なので私は得意な感じだったが、参加者のうち半分くらいいる男性のあいだでは、指先の細かい作業に思わずうめき声があがっていた。

宮城の菊というのは有名らしく、この地でも40戸ほどあったそうだが、津波で流されて現在再開できているのは約5戸。海水が入った表土を10cmさらって20cmの山土を新たに投入し、温度や日照を制御できる高性能なビニールハウスを建てた。数億円かかっているそうだ。

花芽欠きとは、その菊1本1本にひとつだけの大きな花を咲かせるために、脇から出る小さなつぼみをすべて欠きとること。普段はパートさんを雇っているそうだ。27000も本あって、すべて手作業でやっているとのこと。誤って、メインの花のつぼみまでポキっと折ってしまった場合はどうするか、と尋ねると、「その場合は抜いちゃってください、もう使えませんから」とのことで、本当に申し訳ないことに私もやっぱり4本ほどやってしまった。

お昼は、元民宿今は居酒屋の日の出荘の2階のお座敷で、お弁当を食べる。なんとなく旅行の話になってちょっとしゃべった。午後も同じ作業をして、南三陸町の町を少し回ってホテルにチェックインした。雨のせいか町の中に水が溜まっているところが多く、防災庁舎の前も大きな水溜りになっていて降りることが出来なかった。

ホテル観洋は、海沿いに立つ大きなホテルで、南三陸町を訪れるボランティアの人も含めてほとんどが現在はここを利用しているようだった。ボランティアに来たというのに、ホテルではちゃんとした部屋にユニットバスや浴衣や歯ブラシもあり、窓からは太平洋が臨めた(たぶん全部屋がそういう風になっているんだろうけど)。ここも4階までは波が来たというから、ちょうど私が泊まった部屋が4階だったので、ここも綺麗なのは、作り直したからだろうか。

夕食は大広間で18時からということで、やけに時間があったのでお風呂に入りに行く。2階と4階にあって、2階の方が露天風呂だというのでそちらへ行こうとすると、従業員の方が女風呂は4階から入っても2階の露天風呂に降りられます、つながってます、と教えてくれた。裸で階段を上り下りするって珍しい。露天風呂は台風が近づいている海の波しぶきがかかりそうな大迫力で、長く入っていても飽きなかった。

使うかどうか迷ったけど、結局浴衣で大広間へ行き、夕食。海の幸がいっぱいで豪華だった。変わったところでは湯引きしたマンボウ。隣になったおじさんは海運倉庫に長年勤めていて、わたしは以前、南港からチリにバイクを送ったことがありその話で盛り上がる。上げ膳据え膳で申し訳ないので、お茶とかご飯とかは自分でやりますよ、といった参加者の方がいたが、結局ぜんぶ従業員の方がやってくれてやはり申し訳なかった。

露天風呂からの朝日がこのホテルの名物だそうで、入り口に”明日の日の出時刻 05:27”と書いてあったので、起きてみたが曇り。同室の3名のおばさんたちがみんな入りに行ったので私もやっぱり行く。もう3回目。オーストラリア人の女性の浴衣が、右前左前が逆だったので教えてあげた。

朝のバイキングは、ごちそうで、おもわずご飯2杯食べる。前に気仙沼のやつを阪急デパートで買ったのと近い感じのさんまの甘露煮がおいしかった。同室のおばさんが、お刺身をごはんにたっぷりのせて海苔をまぶし、海鮮丼にして食べていた。そらおいしいわ。

2日目の作業は、志津川漁協のかき養殖場あとで、ほたて貝を束ねる作業。ワイヤーに、ホタテの貝殻に穴を開けたものを1枚通し、スペーサーを入れ、と繰り返して70枚くらいつけたらひと束出来上がり。ここにかきの卵がくっついて、大きくなってきたらひとつずつのかきをロープの間にはさんでさらに育てるのだそうだ。

この作業は普段、漁協の人たちが空いた時間でやるらしいが、なんせすごい数のほたて貝が積んであってやりがいのある作業。しかし午前中だけで終わることになり、午後は漁協の方との交流会となった。

コンテナで高台に作った漁協事務所で、かきの養殖の仕組みや、津波にすべて持っていかれたこと、本当なら今日かきをご馳走してくれるはずだったことなどを聞く。生育が半月ほど遅れているとのことで、来月にボランティアに来る人にはごちそうします、と言っていた。再開して初めて獲れるかきをごちそうしてくれるだなんて、恐れ多いことだと思ったけど、来月の人はいいな、とちょっと思った。志津川のかきは、朝に殻を剥いてその日中に店頭に並ぶことから、東京以西には出ないそうだ。それでもこれからは、かきや菊を見るたびいろいろな人の顔が思い浮かぶのだろう。こうやって一つ一つ自分とかかわりのあるものを増やしていくという作業は、地道だけどなんかいいな、と思った。

今日もまた防災庁舎の前には水が溜まっていた。一帯は地盤沈下が80cmほどあり、満潮になると水があふれて水浸しになってしまうそうだ。全体を1mほどかさ上げすると言う話もあるそうだが、それが完了するにはまだまだ長い月日がかかるのではないかとのことだった。かきの作業場ももうちょっと違う場所に建設中だそうだ。

夕方、石巻市の道の駅でお風呂休憩をして、帰路に着く。天然酵母のバゲットにチョリソをはさんだ地粉のパンと、プチトマトを夕食に食べる。この組み合わせはすごくおいしい。消灯前、福島の国見サービスエリアで福島の友達に公衆電話から電話した。携帯にかけるのだから、何処からかけたって一緒だけど、近いほうがなんかいい気がして。元気そうだった。こんどキャンプしようよ、といって電話を切った。

車内で必需品となってきた、空気枕があっという間にしぼんでしまった。いつ穴が開いたんだろう。使い物にならない。次の旅行にも持って行くつもりだったのに。タオルを丸めて代わりにする。早朝6時前には大阪に到着した。地下鉄に乗ろうかと思ったけど、なんとなく外の空気をもう少し吸っていたい気がして、JRの駅まで人気の無い道を歩いて帰った。(2012.09.30)

旅の音楽はくるりの「坩堝の電圧」でした。