織田信長 池上日向
私は戦国時代を代表する人物は織田信長だと考える。その理由は6つある。
1つ目は頭の回転がばつぐんにはやく、気が短かったということだ。木が短かったというのは短所にもとれるが、自分の思う正義に生きていたとも言え、長所としてとらえることもできるだろう。例えば、信長は部下に対して、能力で評価していたという。逆に、信長に対しての忠誠心がかけていたり、能力がなかったりすれば、容赦なくその部下をすてていたらしい。しかしそのおかげで、裏切る者を減らすことができて、より自分を高めることができたのだろう。さらに仕事をさぼったり、よけいなことをしたりする人間にも容赦しなかったらしい。その例として、信長の留守中にあそびに出かけた白の女房たちをひとり残らず殺してしまった、さらに城の修理をしているとき、近くを通った女性をからかった家来を、ものも言わずに斬り殺したという話が残っているらしい。この話から信長はさきほども書いたように、裏切るものなどを減らすことができて、自分を高められたのだろうなと思った。
2つ目は、信長は少し変わった人だったということだ。例えば、あまり、さむらいとしてきちんとしたかっこうをせず、髪は荒っぽくまとめ、着物を片はだぬいで、こしにはひょうたんや火打ち石をぶら下げていたら「大うつけ」と人は思うかもしれません。しかし、私を本を読んだり、話を聞いたりして思ったのは、信長は子どもの頂から自分にとっていちばん活動しやすいののはどんなすがたなのか、ということを考えていたらしい。「たたかうために生まれたような男」といわれているので、いちばん戦いやすいと思うかっこうが、その変わったといわれたかっこうなのでは?と信長はしっかり考え、そんなかっこうをしていたのではないだろうか。さらに、父親の葬式の時も、着物の胸をはだけて、こしに刀をさしたまま、式の行われている広間にあらわれ、みながあっけにとられているあんか、お焼香用のお香をつかみ、父の位はいにむかって投げつけたらしい。これについても私は自分の力やいだいさを見せつけるためのものだったのではないのかと考えた。つまり信長の変わった行動にはすべて、きちんとした理由があったのだ、と私は思う。
3つ目は、キリスト教の布教を許し、保護したということである。信長がキリスト教を許した理由は自分が考えるに3つある。1つ目は、信長自身がキリスト教に興味があったのではないだろうかという考えた。信長が本当に信らいし、大切にしていたのは自分だったらしい。なので、神や仏はもちろん信じていなかった。そこへ、キリスト教という神を信じる宗教が入って興味を持ち、キリスト教の教えや考え方がすばらしいと思い布教を許したのだと私は考えた。2つ目は貿易のためではないだろうかという考えだ。信長は積極的に貿易に力を入れていたらしい。その結果、キリスト教の信者が日本へ来た時にキリスト教の教えてを広めたのだろう。またそのキリスト教を許せばその他の貿易に力を入れていた者より、ゆうりに話を進め、物を安く手に入れたり、この人は入って良いけどあの人はダメなどの手間がかからなくて良かったのだと私は考える。実際に私だったらキリスト教の布教を許す1番の理由は貿易のためだと思う。3つ目はキリスト教の反乱を未然に防ぐためのものだったのではないかという考えだ。もしもキリスト教を許さなければ、当時の日本人のキリスト教の信者は信長に対しての不満が高まり、反乱を起こしていたかもしれない。しかし、キリスト教を許すことによって信者達の不満が高まることもない。つまり反乱も起こらないのだ。どちらにとっても良い結果になるだろう。これが、3つ目の信長がふさわしい理由だ。
4つ目は貿易を多く行ったといことである。信長は貿易に力を入れており、当時珍しかったが外国の品に目を向けていたらしい。例えば鉄砲。鉄砲は武田信玄や上杉謙信などの人物も新兵器として使っていて、当時注目されていた品だったようだ。それを、外国から輸入することによって他の軍にはなかった力をつけることができたのだと思う。私の考えでは、信長が貿易に力を入れていた理由として、主にけいざいこうかを考えていたのではないかと思う。信長は全国統一を目指していた。するとたくさんのお金が必要だというのはあたりまえだろう。そのため、外国から当時めずらしかった品を多く輸入し、市場で売ると人々はおsの品をきっとほしいと思い、たくさん買っていくだろう。その結果、信長にはたくさんの利えきができ、全国統一により近づいていくだろう。なので私は信長は貿易に力を入れていたのではないかと思った。さらに、貿易をすると顔がひろくなり、もしもの時や力をかしてほしい時、助けてくれる人物が増え、勢力をのばすのに、とても有利に全国統一を目指すことができたというのも理由として考えられるのではないかと思う。これらが信長が戦国時代を代表する人物であると考えられる4つ目の理由である。
5つ目の理由は検地を行ったことである。信長は検地を行い、しっかりと年貢を納めさせた。それまで、本当はとても広い土地をもっているというのに、正しい量の年貢を納めない者もいた。逆をいうならば、とても広い土地をもっていて、その分の年貢をしっかり納めている者もいた。信長はそれを平等にしようとした。そのため、信長は土地の広さを印してある「土地台帳」を土地の領主にさしださせ、年貢の量を確認した。そして正しい年貢を納めさせた。しかし、台帳のさしだしをこばんだある寺は、その山ごと焼きはらわれてしまった。この話を聞いて私は、信長は人と人との不公平を良くないと思っていたとても正しい人だったのではないかと思った。もし今の時代そんなふうに年貢(税)を納めなければ、罪にとわれてしまうだろう。それを今よりずっと昔に行い、取り入れたのは信長だった。さらに、それに反した者にばつをあたえるというまったく今と同じことを行ったのだ。その結果検地のおかげで、人々に正しい年貢を納めさせることができたのだろう。他にも信長が人々を平等にするための取り組みとして、このようなものも残っている。例えばホームレスをあわれと見てやさしくしていたという。これも、お金持ちと貧ぼうを差別せず、正しいことをしていたと思う。他にも、しょうがい者に対して生活保護を行ったり、市民や弱い立場の者にとてもやさしく接したりしていたらしい。このような検地を行い、人々の不公平をなくしたことが、信長が戦国時代を代表する人物である理由の5つ目である。
6つ目は領内の関所をなくしたことである。信長は自分の支配下の関所をなくしていった。そのおかげで、人々は土地を自由に出入りすることができるようになった。私の予想は関所をなくすことで信長の力を入れていた貿易や商売をやりやすくし、けいざいこうかを望んでいたのではないのかと思う。さらに信長は関所をなくすと同時に、道路の整備も行った。道はばを一定に広げ、橋のない所には端をかけた。またこれも貿易や商売をやりやすくし、けいざいこうかを考えていたのではないだろうか。事実、道が整っていなければ車どころか人も通れない。きっと整備することはすべてにつながることだったのだろう。これが戦国時代を代表する人物が信長であるという理由の6つ目である。
また、家康と秀吉はちがう。そのわけは、楽市・楽座やキリスト教など信長は日本に多くの新しいものを取り入れていった。しかし、家康や秀吉はそれを真似してさらに発展させただけだと思う。ということは、信長が楽市・楽座、キリスト教などの取り組みを行っていなければ、全国統一などは夢のままだったのではないかと私は考える。ある意味、他の2人は信長に感謝をしなければならないのだ。さらに、信長は家康や秀吉の許さなかったキリスト教を許したので、2人と比べて今に近い新しくて良い考え方のできる武将だったのだろう。
よって戦国時代を代表する人物は「織田 信長」である。