教師は五者たれ
初任の時に教えてもらいました。
昔から教師の世界で語られている言葉なのだそうです。
五者とは、学者、医者、易者、役者、芸者です。
役者と芸者の違いが、今ひとつ掴めないので、インターネットで検索しました。「芸者たれの意味」がいくつか書かれています。
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1つ目
人が楽しく成長できる環境をつくろうということ。
教師は、相手が楽しみながら成長できる環境をつくることが必要。
2つ目
学者との比較
教師は学者であるだけでなく、芸者でなくてはならない
勉強ができるだけでなく、営業的な面、世慣れていなければいけない面、生徒や保護者の心理が読める面、必要なときには口が堅かったりバランス感覚に優れていなければいけない面が必要。というようなことを表している。
3つ目
学校の催し物、日常生活を盛り上げて
子どもと一緒にのぼせて遊ぶ『芸者』である必要もある。
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ふと、思いました。
「芸」には、「修練して身につけた技能。学問。技術。わざ。」という意味もあります。「芸者たれ」とは、「芸を極めた人であれ」という意味もあるのではないかな〜?
例えば、こんな「芸」です。
谷和樹氏は、これは「高段の芸」であると言っています。
〔引用〕___________
算数の時間に「ノートに式を書きなさい。」と指示したにも関わらず、全く作業をしない子がいたとする。このような場面で、声を荒立てて叱ることは誰でもできる。
しかし、授業の雰囲気は悪くなる。一生懸命に勉強している子にとっては、教師の怒鳴り声は迷惑以外の何ものでもない。このような場面では、笑顔で「〇〇さん、式を書きます。」とその子の目を見つめながら穏やかに言えばよい。ただし、目が重要である。笑顔だけれども、目は笑っていないのである。芸能の世界では、「名役者は口ではなく目で語る」といわれているが、これは教師の世界でも同じである。
笑顔一つとっても、「目」「声のトーン」「口調」「口元」など、それぞれのパーツの組み合わせで幾通りもの表情を使い分けることができる。
昔から教師は五者たれと言われてきた。学者、医者、易者、そして役者と芸者である。
場面に応じて表情を豊かに使い分けることは高段の芸ではあるが、この力を身に付けることができれば授業が活性化することは間違いない。
「若手教員の授業力構成要素の抽出とその向上手法の研究事業
授業力 トレーニングテキスト」
~教員の基本的授業力を構成する要素の指標とそのトレーニング方法~
監 修 向山洋一(特定非営利活動法人 TOSS 代表)
編 集 谷和樹(玉川大学教職大学院 教授)
発 行 特定非営利活動法人 TOSS
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藤沢秀行名誉棋聖は、「碁は芸である」と考えると言っています。
〔引用〕___________
私は、碁は芸である、と考えているからである。
さらにさかのぼれば、芸術であるということもできるかもしれない。芸術というのは、感情をはじめとして、人間の感性がとらえたものを表現することによって生まれる。小説や音楽もその1つだろうし、碁もまた感性の発露、”三百六十一路”の盤上に、それまで自分が生きてきたすべてを表現するものだ、と私は解釈している。
だから、私は勝負がすべてとは考えない。勝負は結果にしかすぎない。芸を磨き、なんとか強くなって、いい碁を打つことを第1義に考える。つまり、いい表現ができるようになれば、自然に勝てるようになる、というのが私の考えである。
「人生の大局をどう読むか」(藤沢秀行 三笠書房)
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前述の授業の「場面に応じて表情を豊かに使い分ける」ことも、感性がとらえたものを表現することです。
ただ、向山洋一氏の次の手紙を読み、自分が「芸」という意味を甘く考えていることに気づき、恥ずかしくなりました。
以下、向山氏が青木幹勇氏に送った手紙です。(向山氏から青木氏に本を送り、青木氏から素晴らしいご返事が届いたそうです。その時の向山氏の再信)
青木幹勇記念館 http://kaku.boy.jp/
〔引用〕一部抜粋____
4、「授業者もプロ」本当にそう思います。技術と人間的要素を欠くことはできない。・・・大賛成です。ただ、私は「授業技術も芸になり得る」と考えております。「芸は、技術が昇華された状態である」と思うからです。
「プロを目指す授業者の私信(向山洋一 学芸みらい社)
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技術が昇華された状態である「芸」!
「芸者たれ」の「芸」が、「技術が昇華された状態」だとしたら・・・「芸者」は、雲の上の上の上の世界です。
ただ、雲の上の上の上の世界ではあっても、そこを目指して努力する教師でありたいです。