【序文】
ビッグアプセット記録係の芝田です。
2012年シーズンが終了しましたが、これで1998年の創業から15年が経過、また公式記録をつけ始めた2003年シーズンからちょうど10年が経過しました。
そこで今シーズンオフは、10周年企画として『記録でみるビッビッグアプセットの10年』として、この10年あるいは15年を記録を通して振り返るという企画を思いつきました。
【歴代政権一欄】
第一回の本日は、『歴代政権一覧』です。
政権
末永
政権
村上
政権
芝田
政権
櫻町
政権
在位
8年
(1998年 ~
2005年)
2年7ヶ月
(2006年
~2008年7月)
3年6ヶ月
(2008年7月
~2011年)
1年
(2012年~)
戦績
82試合 35勝43敗4分
勝率 .449
(2003年以降のみ)
99試合 58勝38敗
3分 勝率 .604
~情熱と実行力の『創業者オーナー』~
投手をやりたいという中学生時代の夢をかなえるため自ら発起人となりビッグアプセットを創立。公式記録のない当初5年間を含め在位8年という超長期政権となった。
インターネットの普及していない時代から、マッチメーク、グランド確保、メンバー確保、助っ人調達、ユニフォーム作成、道具準備、審判手配、試合の采配に自ら先発完投、と正に大車輪でチームの全てを取り仕切った。ビッグアプセットは末永の情熱と実行力なくしては存在し得なかったといえよう。
2000年代に入り、初期コアメンバーもほぼ確定、佐藤肇、福原、黒田、熊野というメンバーも自らのルートで揃え、年間40試合をこなす体制を作り上げ、また恒例の春合宿、ガンバロウ大会参戦など、その後に続くビッグアプセットの体制をほぼ形作ったという意味で、まさにビッグアプセットの顔としてその業績は永遠に記されるだろう。
~チームの近代化を成し遂げた『中興の祖』~
2006年、ビッグアプセット規約に基づき初めて民主的に成立した政権。年間40試合ペースに増加したことを受け、キャプテンに櫻町を起用するほか、各種役割をメンバーが分担する体制となりチーム運営の安定化をもたらした。
春合宿での連携プレーの徹底、サインの導入による足を使った攻撃など、大味だった試合運びが緻密さを増し、末永・楠本・橋本の3本柱に黒田、福原の俊足コンビ、40台前半だった山下、芝田、櫻町の強力クリーンナップを擁し、2007年ガンバロウ春大会では初の4回戦進出、ベスト12に進出するという快挙を成し遂げた。また戦績も歴代政権中唯一6割台を確保、まさにビッグアプセットの第一期黄金時代を築き上げたが、2008年夏、衝撃の大阪転勤(単身赴任)により惜しまれながら政権の座を降りた。
126試合 63勝54敗
9分 勝率 .538
35試合 15勝19敗
1分 勝率 .411
~チームの過渡期に苦闘した
『悩める3代目』~
村上の転勤に伴う政権交替により急遽登板、以後村上政権を上回る3年半の安定政権となった。とはいえ、チームは最年長組が40台後半にさしかかり、村上・楠本の転勤、熊野・黒田・木全の海外赴任、末永の離脱など固定メンバー確保ができず、毎試合助っ人調達に奔走する苦しいチーム運営となった。そんな中、村上政権後期に入団した谷上のエース定着を軸に、ディレードスチール等のスモールベースボールで2009年ガンバロウ春大会は5回戦進出、ベスト6(史上最高位)という成果も成し遂げた。
チーム再建に苦闘するなか、西村の投手起用、自らの捕手登用など様々なトライアルでチーム運営を継続する一方、政権後期には黒須、石井、田中といった超強力な新戦力獲得に成功、最終年の2011年には大きく勝ち越し、通算勝率5割台を確保し勇退。
~柔軟発想でチームに新機軸を吹き込む
『ニューリーダー』~
芝田の辞意表明を受け、ついに万を持して自ら立候補、チーム4代監督に就任。選手時代は『来て打って帰るだけ』といわれた奔放なスタンスだったが、前任のどの監督にも負けないチーム愛を発揮、持ち前のおおらかで明るい性格でチームカラーを自分色に染めることに成功しつつある。
また出塁率を重視した打順設定、状況によって石井、村上、芝田のキャッチャーを使いわけるという新機軸、また斉賀、鈴木、大間という強力新戦力の確保に成功し、芝田政権時代の人繰り難を見事に克服、チームを安定起動に乗せることに初年度で早くも成功したその手腕は、就任当初危ぶむ声もあった言論界でも認められつつあるといえよう。この流れにのって順調に業容を拡大していけば、2年目以降の勝ち越し定着はほぼ確実で、長期安定政権が期待される。
【歴代対戦相手ランキング】
創立15周年・公式記録10周年企画、『記録でみるビッグアプセットの10年』シリーズ第2弾は、『歴代対戦相手ランキング』です!
公式記録10年間の通算342試合で対戦した相手チームは、合計なんと159チーム。うち116チームが一度限りの対戦です。まさに一期一会の出会いですが、逆にいえば43チームが2度以上対戦しているということでもあります。
今回は通算対戦試合が多い順にベスト20の対戦相手を紹介します。いずれもビッグアプセットを育ててくれた好敵手たちです。
1位
2位
3位
チーム名
南海ハーツ
みずほ証券
野球部
ゾディアック
試合
25
18
14
勝利
15
5
4
敗戦
10
12
9
引分
0
1
1
勝率
0.600
いわずと知れた宿敵でGリーグ幹事。ビッグアプセット結成時からの長年の対戦相手で数々の好試合を演じてきた。2005年頃までは4勝7敗と負け越していたが、以後は11勝3敗と圧倒的優位に立っている。超ベテランのドン山平捕手始めビッグアプセットとの親交も厚い。また伊藤・青木・藤本選手はビッグアプセットが苦しい時代に助っ人参加もしてくれた頼もしい好敵手だ。
千代田区一部リーグ所属の強豪。当初は6戦6敗と完全に歯が立たなかったが、以後は末永の完封勝利など互角の戦いを繰り広げている。三輪オーナーの強力なマネジメントで常に若手を補充しつつベテランとのバランスを保つ、絶妙のチーム運営で昨今ますます強敵化しており、直近も1勝4敗と分が悪い。ビッグアプセットコアメンバーとなった飯田選手を始め、三輪オーナー、東郷選手、森井選手など、貴重な助っ人供給源でもある。
井上監督(写真)を始め個性的な選手が揃った強豪。末永との個人的つながりもあり末永監督時代の定例対戦相手でもあった。いつも好試合を繰り広げるのだが、底力の違いで対戦成績は分が悪い。最近は対戦が少なくなっているが、常に試合をお願いしたい相手のひとつだ。
Gリーグオリジナルメンバーで、対戦相手ランキング上位では唯一の全勝相手。軟投派投手にいつも悩まされるが粘り強い攻撃で敗戦を避けてきた。最近は僅差の試合が続いておりビッグアプセットとしても気を引き締め直して対戦したい。
末永監督時代の定例対戦相手のひとつ。好投手を中心に非常にまとまりのあるチームで常に好試合を繰り広げてきた。初の西武ドームに誘ってくれた中村橋マガジンズはこのチームから派生したチームだ。
Gリーグオリジナルメンバー。対戦2試合目に敗戦を喫したが、それ以降は8連勝中。とはいえ常に僅差の試合が多く、特に本拠地の関東調布村では数々の激闘が繰り広げられた。また何故か天気に泣かされることが多い相手で、雨中の多摩川緑地、諏訪南公園など思い出の試合も多い。
エース小島投手を擁する強豪。常に相手のダブルヘッダーの2試合目の対戦という有利なハンデをもらっておきながら、いまだ勝つことができない。時々は小島投手からも得点を奪うものの、強力打線に大量失点というパターンだ。とはいえ初勝利への執念は消えず、まだまだ対戦をお願いしたい。
Gリーグに1年遅れて参加した好チーム。ビッグアプセットと力は拮抗していると思われるが何故か相性がよく大きく勝ちこしている。とはいえ、ここ2年は1勝2敗と負け越しており、気を引き締め直していきたい。川崎市桜川球場での『猛暑の中の西村投手初登板炎上』試合が印象に残る。
多摩川ガス橋を中心に定期的に対戦するチームだが、投手力、攻撃力ともに非常に高く、いつも完璧に打ちのめされていた印象が強かったために、1勝したことがあったとは驚き。ガンバロウ大会ベスト12進出後の2007年6月、末永・橋本のリレー、山下、芝田、櫻町、橋本のタイムリーで1点差で逃げ切っている。やはりこの頃のビッグアプセットは強かったのだ。
大田区を中止に活動している好チームで、2005~2008年頃に頻繁に対戦していた。実力は拮抗しているが何故か相性がよく大きく勝ち越している。好チームだけにまた対戦したい相手だ。
0.294
0.308
4位
新宿ぶんぶん
11
11
0
0
1.000
5位
エクソダス
コマンドゼット
BLUES
あしたば
ナインフォース
昭鉄ブルーハ
ーツ
VITES
鬼道衆
ナイトホークス
東深澤学園
Darks
New Odds
AMTバイガンズ
スコブルズ
トレポンズ
中村橋マガジンズ
四谷ロックス
10
10
9
9
8
7
5
5
5
5
5
5
4
4
4
4
4
5
9
0
6
1
6
1
3
1
2
1
1
2
1
3
1
1
5
1
9
2
7
1
3
2
4
3
4
3
2
3
1
3
3
0
0
0
1
0
0
1
0
0
0
0
1
0
0
0
0
0
0.500
0.900
7位
0.000
0.750
9位
10位
11位
17位
0.125
0.857
0.250
0.600
0.200
0.400
0.200
0.250
0.500
0.250
0.750
0.250
0.250
(ナイトホークス)
(VITES )
(中村橋マガジンズ)
(スコブルズ)
【助っ人列伝】
創立15周年・公式記録10周年企画『記録でみるビッグアプセットの10年』第3弾、『助っ人列伝』です!
思えば、コアメンバーもその多くは最初は助っ人で参加。何試合か参加するうちにチーム入りというパターンも多くあります。そんな中、コアメンバーになっていないが、ビッグアプセットに助っ人参加してくれた人は、通算なんと50人に上ります。
今回はその中でも、参加試合が多い順に上位10位までのランキングを紹介します。いずれもコアメンバーでもないのにこれほど多く参加してくれた、チームの恩人です。それぞれの人の通算個人打撃成績とともにどうぞ。
打率
試合
20
17
打席
65
打数
安打
打点
本塁打
盗塁
2008年から参戦。ご存知みずほ証券の正捕手にして史上最高の助っ人。なんと5年間にもう20試合も参加してもらっている。相手チームも面食らう独特のキャラだけでなく、座ったままランナーを刺す強肩は驚異。みずほ証券では打撃不振に悩むがビッグアプセットでは3割を打っており、チームカラーとしてはこちらのほうが馴染むということだろう。
2011年から参戦。選手不足に悩む芝田監督が、パワハラのリスクを敢えてとって部下の赤星に参戦依頼。以後おなじみの顔となっており、本人いわく「ビッグアプセットの準構成員」で、コアメンバー入りも近いとの噂もある。飄々としたプレーぶりだが、打撃はシュアで3割を超す打率を誇る。
2004年から参戦。韓国OBベアーズの元選手というすごい経歴の選手がなぜかビッグアプセットに10試合も参加してくれ、また2006年には春合宿にも参加、夜の個人打撃指導と昼の連携プレーの徹底でチーム力を見事に向上させてくれたビッグアプセットの恩人。打撃成績は10試合で7本塁打、20安打28打点と、驚異の一言。
2005年より参戦。ご存知みずほ証券野球部のオーナーにして監督。助っ人調達の苦労を知るため、積極的に助っ人を申し出てくれる、本当に有難い存在だ。そのリーダーシップと明るいプレーぶりはビッグアプセットでも変わらず、守ればキャッチャーから外野を幅広くこなし、打てば名人芸の右打ちでチームに渇を入れる。本当に頼りになる存在だ。
2012年より参戦。櫻町監督の職場関係で、頻繁に参戦した結果、なんと初年度でランキング4位入り。シーズン中は一時規定打席にも到達するほどの参加ぶりだった。誠実な人柄と堅実なプレーぶりはチーム内でも高評価だ。
2004年より参戦。ご存知マダックス末永の長男、末永の大好きな主人公から純平と名づけられた。まだ中学生だった末永監督時にはたびたび参戦し、しばしば鋭い当たりを見せていたが、その後は陸上に熱中しているとの噂で、長らく会っていない。大きくなったんだろうな~。
2009年より参戦。助っ人調達に苦しむ芝田監督が、赤星と同様部下の菱田を試合に引っ張り出したのが最初。飄々としたプレーぶり、ファーストとセカンドを手堅く守るが、未だヒットは一本。打撃が課題だろう。
2008年より参戦。東郷と同期で同時期に芝田監督が助っ人として参戦依頼。成績が示す通りバッティングが秀逸で、ビッグアプセットでもしばしば試合を決めるヒットを打った。守ってもピッチャー、内野、外野を幅広く守れるオールラウンダーだ。
2009年より参戦。普段は論客で知られる切れ者だが、野球を愛する浜田山ダイナマイツ主力選手。野球への熱い思いが強く、ビッグアプセットでも気合の入ったプレーを見せてくれる。特に2009年秋のガンバロウ大会では苦しい場面でタイムリー三塁打を放ち、チームに気合を入れてくれたのが忘れられない。ユニフォームは既につくっており、実質コアメンバーだ。
2004年より参戦。楠本の職場関係での参戦だが、経歴は元ノンプロ選手と超一流。豪快な打撃と強肩堅守のキャッチャーとして大活躍してくれた。谷上投手に対する厳しい指導も思い出深い。
2006年より参戦。みずほ証券のエースにして主力打者。類稀な野球センスを持ち、ビッグアプセットでも鋭い打撃を見せてくれた。コメントもなかなか奔放であの櫻町をも追い詰めた。
2010年より参戦。スーパーひとし君石井の長男、大和くん。何よりキレのある速球とカーブが印象的なピッチングが一番の持ち味で、ビッグアプセットでも何度か素晴らしいピッチングを魅せてくれた。これからも是非参戦してほしい。
1
2
3
4
東郷
赤星
0.304
0.327
0.588
0.333
0.100
0.120
0.040
0.500
0.150
0.529
0.231
0.071
61
41
33
25
25
30
22
23
19
16
15
56
55
34
27
20
25
25
22
20
17
13
14
17
18
20
9
2
3
1
11
3
9
3
1
10
11
28
0
4
0
1
4
4
7
2
2
0
0
7
0
0
0
0
1
0
0
0
0
11
2
3
1
1
1
0
4
1
2
2
1
朴
10
9
9
8
8
6
6
5
5
5
三輪
秋野
6
末永
純平
8
菱田
森井
尾崎
10
池元
山田
石井Jr
【ビッグアプセット名勝負10選】
年が明けても、ビッグアプセット創立15周年・公式記録10周年企画『記録でみるビッグアプセットの10年』は続きます。今日は第5弾、『ビッグアプセット名勝負10選』です!
あんなことこんなことがあった数々の名勝負。その中で、記録係芝田がまたしても独断と偏見で選んだ『名勝負(名試合)』ベスト10をお送りします。
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
年月日
2009.5.9
2006.9.2
2011.4.30
2007.5.19
2007.12.8
2005.6.5
2008.12.13
2011.9.10
2005.10.1
2006.5.6
試合
○4-2
Sexy Sexy
○10-0 BDJ
○2-2
イイジャン
○9-4
BackHome
○8-7
コマンドゼット
○10-3
Wing Beat
○8-6
Paciorek
○8-7 LFD
○35-15
トレポンズ
×2-8 That's
球場
東京健保
大宮球場
ビッグアプセット10年のベストゲームに選ばれたのが、史上最高位ベスト6に進出した2009年ガンバロウ春大会4回戦のこの試合。史上最高位に進出したというだけでなくその内容も、当時の監督芝田が史上最高の試合と感動したものだった。この大会で大車輪の活躍をみせた谷上が先発完投、この大会で24イニングを投げぬく大活躍を見せた。また攻撃では2回に芝田・村上、4回には谷上・黒田のコンビによる1・3塁のダブルスチールで点を重ねるなど、競合相手にスモールベースボールで得点を重ね6回終了時点で4-1とリード。しかし最終回の相手の攻撃、ワンナウトから連続ヒットとフォアボールでワンナウト満塁に大ピンチ。長打が出れば同点、サヨナラのピンチで、相手打者の鋭い三遊間の打球にショート橋本が横っ飛びのダイビングキャッチ、矢のような送球でツーアウトを取り一気に息を吹き返した。最後の当たりは滞空時間の長い長いレフトフライ、これを山下がキャッチ(写真右)し歓喜が爆発した。全員の集中力が結実した試合、打撃と走塁が一体となった攻撃と、ピンチで粘る守備、特に最終回の橋本選手のプレーは未だに歴史上最高のプレーと称えられるべきものだろう。
苦節足掛け3年、5回目の挑戦でビッグアプセットがガンバロウ大会に初勝利した記念の試合。大宮では永久に勝てないのではないか、というメンバーの呪縛を解いたのは末永。変幻自在のピッチングで完封するだけでなく、2回表には先制のツーベースを放ちチームの緊張を一気に解いた。またこの年絶好調の核弾頭福原が縦横無尽の活躍で2安打2打点2得点。最後は10点差がついてコールドゲームの条件が整った中、楠本-橋爪-櫻町の見事なダブルプレーでゲームセットという鮮やかな勝利。長年の呪縛を解いた一瞬、試合終了直後、芝田と櫻町が我を忘れて抱き合ったのも懐かしい。この日、実は現在の3代目ユニフォームが初お披露目の試合、ビッグアプセットの歴史が大きく転換した日だった。
直近の大会で最も忘れられないのがこの試合。2011年春大会初戦、相手のイイジャンは剛速球エースを擁する強豪。なんと初回から4回終了まで、打者13人のうち11人が三振、四球ひとつでノーヒットという展開。先発石井も一歩も引かないなかしぶとく2点を先制され窮地に。6回、先頭芝田がチーム初ヒットの左中間ホームラン(写真右)で一気に流れを変えると、村上が四球と盗塁、これを田中がしぶとくライト前タイムリーで返して奇跡の同点。このまま試合はプレーオフに。ワンアウト2/3塁スタートプレーオフだがビッグアプセットはゲッツーでこれをつぶしサヨナラ負けの危機。ここでピッチャー石井が打者を三振、飛び出した三塁走者を村上が刺し、ビッグアプセトは崖ッぷちから生還。この後のジャンケンで「パー最強説」を信じたメンバーが団結で勝ちあがった。「パー最強説」の神話を残すとともに、芝田監督の「勝負はゲタをはいて家に帰って風呂に入るまで分からない」という名言を生んだ試合だった。
ガンバロウ大会参戦から4連敗、2006年まで1勝5敗と苦しんでいたビッグアプセットが遂にその殻を破り4回戦進出、大会ベスト12に進出した2007年春大会の記念すべき3回戦。まずこの大会の勝利パターンだった初回先制攻撃、黒田・山下の長打に橋本のホームランで初回に4点先制。前年ベスト4の強豪BackHomeも粘り4回終了時点で4-4の同点。4回の走塁を活かし3点をもぎ取ったあと、7回には山下・芝田の連打と相手エラーで2点をもぎ取り、守っては楠本・末永の完璧リレーで逃げ切り、ついに当時最高位のベスト12を獲得した。この試合、実は2003年からの公式記録が始まって以降、70勝69敗とついに通算勝ち越しを達成した試合でもあった。まさにビッグアプセットの冬が夏に転じた試合だったのだ。
ガンバロウ大会ベスト12に進出した第一期黄金時代のビッグアプセット、そのシーズン終盤戦にチームの底力を見せ付けた試合。無敵のGリーグでこの日は楠本・橋本のリレーながら守備がかみあわず7回表が終わって2-7の劣勢。絶体絶命の最終回ワンナウトから楠本がヒット、橋爪、西村の四球に芝田タイムリーで3点差。山下の犠飛で2点差に迫ったもののツーアウト。ここで末永が渾身のセンターオーバーの二塁打を放ち崖っぷちで同点! 延長にもつれ込んだ8回、先頭村上がヒットで出て3塁に進んだ後、楠本の内野ゴロで果敢にホームに突っ込み鮮やかなスライディングでサヨナラ勝ち。この頃のビッグアプセットの強さを象徴する見事な試合だった。
まだ大会で勝つこともなく、ナイターすら珍しかったこの頃。芝公園のナイターで行われたこの試合、忘れられないのは4回裏に飛び出した櫻町選手の特大ホームラン。なんとその打球はライトフェンスを越えるのは勿論、その後ろに走る首都高速C1線のかなたに消えていく大飛球。首都高の後ろに輝くKorean Airの看板を直撃したものと思われる。港区役所の想定を完璧に上回る飛距離に度肝を抜かれた思い出の試合。実はこの直前、芝田が左中間のランニングホームランを打っており、この試合は芝田・櫻町の初のアベックホームランの試合でもあったのだ。
2008年シーズン最終戦は下高井戸での強豪Paciorek戦。この日は、翌月に披露宴を控えた福原選手のイメージビデオの撮影もあり、シーズン終盤の独特の盛り上がりの中、試合は劣勢。6回終了時点で0-6と沈黙。その中で、最終回、櫻町のタイムリー二塁打、西村、谷上の連打に続き大河原にもヒットが出て1点差に迫り雰囲気は最高潮に。ここで走者2人をおいて橋本がセンターボーバのホームランで一気に逆転。なんと6点差を最終回にひっくり返すという劇的勝利でシーズンを華々しく終えた。福ちゃんの結婚に華を添えるだけでなく、このシーズン、首位打者芝田、櫻町、山下が35安打で最多安打で並ぶという快挙、思い出の焼肉名店神山亭での最後の打ち上げという、後になっては記念すべき日となったのだった。
最近の大会以外で最も印象に残っているのがこの試合。エース石井、谷上が欠場のため先発は櫻町。好チーム相手に苦戦し6回終了時点で4-7のビハインド。最終回は連続四球に東郷のヒット、黒須のタイムリーで2点差に迫った打席は櫻町。ここで放った打球はナイターの猿江恩賜公園の空に虹をかけるような逆転サヨナラ柵越えホームラン。正に千両役者の本領発揮の試合だった。
ビーグルスとの兼ね合いで助っ人4人を招いての試合。この試合が歴史的に凄いのは、助っ人朴さん3本、芝田2本、櫻町1本の、計6本の柵越えホームランが出た試合だったこと。それまで互角の戦いを続けてきたトレポンズを完膚なきまでに破った試合。投手陣も先発芝田、中継ぎ櫻町、抑え朴というリレーで、櫻町が3イニングで15失点、芝田と朴は無失点という、とてもメリハリのある試合だった。
今回、名場面集を選ぶにあたって、結局「思い出の敗戦」の試合は除外することにした。しかし、この一戦だけはどうしても10選に入れるべきだと思った試合。2004年春から挑戦し始めたガンバロウ大会、この試合でついに4連敗。最初は気楽だったメンバーもこの頃にはどうして勝てないのか、極めてシリアスな雰囲気となり、「大宮鬼門説」も唱えられる事態となった。この年から監督が村上に替わり、チーム力はアップしており、この試合も村上の盗塁阻止、芝田のホームランなどいい所は出たものの、大会本部に近い強豪That’sに力負け。試合後のメンバーは打ちひしがれた状態で大宮の町に繰り出し、ここで伝説の「大宮・関白宣言事件」(写真下)も勃発した。どうみてもチームのボトムの状態だったが、「夜明け前は一番暗い」の格言通り、歴史を振り返ればこの日がチームのヒストリカルボトム。ビッグアプセットはこの後の秋大会で大会初勝利を飾り、翌年春にはベスト12進出へと一気に駆け上がるのだった。今思えば、この試合は正に歴史の転換点だったのだ。
東京健保
大宮球場
東京健保
大宮球場
東京健保
大宮球場
調布関東村
芝公園野球場
下高井戸
運動場
NO IMAGE
猿江恩賜公園
新木場野球場
東京健保
大宮球場
【球場ランキング】
第6弾は『球場ランキング』です。
過去10年間、342試合で使用した球場は、なんと69箇所におよびます。うち一度しか使ってないグランドも26箇所もあります。
そんな中、過去10年間で使用回数が多かった球場のランキング・ベスト20をお送りします。様々な思い出に彩られた球場の数々です。
1位
2位
3位
4位
5位
6位
7位
9位
10位
11位
球場名
東京健保大宮
グランド
東台
(練馬区)
下高井戸
(杉並区)
多摩川緑地公園(大田区)
光が丘公園
(都立)
上井草スポーツセンター
(杉並区)
夢の島公園
(江東区)
城北中央公園
(都立)
大田スタジアム
(大田区)
石神井公園
(都立)
世田谷公園
(世田谷区)
多摩川ガス橋
緑地
(大田区)
大井埠頭
海浜公園
(都立)
舎人公園
(足立区)
天王洲公園
(江東区)
豊島区総合
運動場
(豊島区)
東調布公園
(大田区)
調布関東村
(調布市)
富士見ケ丘
グランド
(杉並区)
春光スポーツ
倶楽部
(武蔵野市)
自動車健保
グランド
(狭山市)
和田堀公園
(杉並区)
試合
41
34
27
18
15
14
13
13
11
10
9
9
9
7
7
6
6
6
4
4
4
4
勝利
20
19
19
10
8
4
5
6
7
5
3
4
3
1
4
3
3
6
2
1
1
2
敗戦
21
14
8
8
6
8
7
6
4
3
6
5
4
5
3
3
3
0
2
3
3
2
引分
0
1
0
0
1
2
1
1
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0
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2
1
0
0
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0
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0
0
0
勝率
0.488
ガンバロウ野球大会本拠地にしてビッグアプセットの聖地。数々の汗と涙の思い出にあふれた忘れがたいグランド。最多の41試合にして、20勝21敗という戦績が、すでにその歴史を物語ってくれる。美しい天然芝と北海道を思わせるポプラ並木は、毎回グランドに到着する度にメンバーのテンションを最高潮にしてくれる。大宮駅「豆の木」の集合に始まり「あじたろう」の打ち上げにつながる大会の一日はもはや人生の一部。屈辱の敗戦に涙した日、感激の勝利に抱き合った試合、数々のドラマや事件を生んだ大宮周辺での打ち上げなど、思い出はつきない。これからも数々の名場面とともにビッグアプセットの歴史を見守っていってくれる違いない。
今や名実ともにビッグアプセットの本拠地と言うべきグランド。末永監督時代に急増した試合数に対応すべく、大河原が練馬区民の意地を見せて獲得して以来、毎年コンスタントに試合で使用。ホームバイアスの恩恵も受け勝率も高い。グランドとしても、外野守備が重なること以外は、コンディションのよさやレトロ感も抜群、まさにビッグアプセットのField of Dreams。いわずとしれた駅前の名店『受楽』とともに、永遠の記憶に残るグランドだ。
末永監督時代のホームグランドで、7割超という圧倒的な勝率を誇る。人工芝2面の極めて使い勝手のよい球場で、数々の好試合が繰り広げられた。一時は年間10試合以上をこなす本拠地だったが、グランドのサッカー仕様への変更や、打ち上げでおなじみの名店『神山亭』の閉店などにより最近は滅多に使わなくなってしまったのが寂しい。
六郷土手沿いに広がる多摩川沿い河川敷グランド。面数が多いことから頻繁に使用される。天気・気候がいい時は最高に気持ちのいいグランドだが、雨や風が厳しいときは地獄絵図のような試合も繰り広げられた。打ち上げは近場のバーミヤンか蒲田に出て焼肉か餃子。色々な思い出が尽きないグランドだ。
都立でも有数の人気を誇るグランド。4面ながら各面が独立したグランドで、オーバーフェンスが狙えることから腕に覚えのある打者に人気がある。知るひとぞ知る体育館内のアジアエスニックレストランでの打ち上げの得点も高い。
都内随一の施設を誇る杉並区のスポーツセンターのグランドで、末永監督時代のホームグランドのひとつ。4面人工芝の広々としたグランドで、外野を抜ければほぼ確実にランニングホームランという、長打がしばしば試合を決めた球場。近年は滅多に使用しなくなり、懐かしい。
みずほ証券をはじめ数々の宿敵との試合が組まれた。面数が多く使い勝手のいい球場だが、水はけの悪さが玉にキズ。木曜の昼までに雨があがらないと試合ができないという欠点を持つ。試合後は錦糸町方面が定番に。
今や都立の代表格となったグランド。独立した2つの一面グランドは思い切ったプレーができるが、キャッチャーの後ろスペースが広くパスボールが試合の流れをしばしば左右する。池袋の名店『永利』とのパッケージが定番。
イースタンリーグや高校野球予選が行われる、プロ仕様のスタジアム。ダグアウト裏のロッカールーム、電光掲示板表示にウグイス譲も可能で、行くたびにプロ野球選手の気分でテンションが高まる。一時期は年に何回も使用できたが、最近は滅多に使えないのが本当に残念だ。
一面天然芝。外野フェンスに桜の枝が張り出し、しばしばオーバーフェンスが二塁打になる。春の試合は満開の桜吹雪の下でなかなか風流。クラブハウスがなく天下の往来で着替えが行われるのと、石神井池が近いためか蚊が発生するのが玉に傷。
区立でも最も予約しにくいといわれる三宿の球場。南海ハーツとの激闘が何度も行われた。最近全面人工芝に生まれ変わった。
面数が分からないとどこに行っていいか迷うという玄人好みの河川敷。下丸子駅前の中華名店が発掘されバリューがあがった。
大田スタジアム隣接。ナイター設備もあり使い勝手のよいグランドだ。打ち上げは大森駅前がもっぱら。
かつては陸の孤島だったが、舎人ライナーができて利便性が増した。BLUESの本拠地で苦い思い出ばかりの球場。唯一の勝利は他のチームが相手だった。
人工芝3面、ナイター完備の近代的球場で、正面にJAL本社を仰ぎ見る。打ち上げは品川駅前の居酒屋。
サンシャインの裏にあり、最も都会を感じさせる球場。黒田選手の推定飛距離100m以上、レフトフェンスオーバーの伝説のホームランを生んだ球場でもある。
簡易内野スタンドと外野フェンス完備の一面の素晴らしい球場。雨中の激戦のあとの銭湯がなつかしい。
調布飛行場に面し飛行機の発着が間近でみられるユニークなグランド。コマンドゼットの本拠地でもあるが、ビッグアプセットはいまだここで負け知らずだ。
かつてNHKグランドだったものが杉並区所有に。一面天然芝の素晴らしい球場だ。
井の頭公園の隣にあり、ライトが異様に近い櫻町仕様のグランド。吉祥寺の焼肉名店『李朝園』の支店が至近距離にあるという穴場だ。
狭山市入曽にある、内野天然芝の素晴らしいグランド。過去2度ダブルヘッダーでゾディアックと対戦している。
善福寺川の貯水槽を兼ねるユニークな球場。何故か天候に恵まれず、雨中の試合の印象が強い。
0.576
0.704
0.556
0.571
0.333
0.417
0.500
0.636
0.625
0.333
0.444
0.429
14位
0.167
0.571
16位
0.500
0.500
1.000
19位
0.500
0.250
0.250
0.500
【決定版!ビッグアプセット年表】
創立15周年・公式記録10周年記念、『記録でみるビッグアプセットの10年』ついに最終回です。
最終回は『決定版!ビッグアプセット年表』をお送りします。創立以来、それぞれの年に起こったこと、記録と記憶を頼りに、世の中の出来事とともにまとめてみました。
1998年
~2002年
2003年
2004年
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
2010年
2011年
2012年
戦績
不明
13試合 4勝9敗0分
勝率 .308
28試合 12勝14敗2分
勝率 .462
41試合 19勝20敗2分
勝率 .487
44試合 20勝22敗2分
勝率 .476
38試合 27勝11敗0分
勝率 .711
36試合 24勝8敗4分
勝率 .750
35試合 15勝17敗3分
勝率 .469
38試合 16勝20敗2分
勝率 .444
34試合 19勝14敗1分
勝率 .576
35試合 15勝19敗1分
勝率 .441
~Bigupsetの夜明け、『有史以前』時代~
1998年、どうしてもピッチャーをやりたい末永が発起人となってBigupset発足。初めての試合は荒川河川敷だったが、ほとんど10年以上ぶりに野球をやるメンバーがほとんどで、初戦は惨敗との言い伝えが残っている。その後5年の間、年間10試合程度が組まれたと思われるが、公式記録は残っておらず、ほぼ月一試合程度の開催であったと思われる。
この頃のコアメンバーは、末永、櫻町、佐藤肇、大友、今井、村上、西村、窪田、楠本、荻野、山下、北村、木全、大河原、といったところ。とにかく、インターネットもメールも普及していない時代、今思えばグランドや相手の確保、メンバー調達など、よくぞやったものだと思う。
~最年長組が出揃い、フル稼働前夜~
この年からついに公式記録がスタート。とはいっても開幕試合は4月19日とプロ野球よりも遅く、月2試合程度のペースで年間13試合にとどまった。そんな中、この年の夏に橋爪が米国から4年ぶり、芝田が英国から10年ぶりに帰国し即刻チームに合流、最年長組のコアメンバーが出揃った。
チームは開幕8連敗と低迷し、初勝利はなんと11月に入ってから。それでも終盤4勝1敗と立て直し、メンバーが揃ったこともあって翌年以降大いに試合数を増やすべく盛り上がりを見せた。個人記録としては山下が三冠王を獲得(打点王は櫻町、本塁打王は芝田と分け)し、初代MVPに輝いている。
~一気に試合数増加、定番行事が出揃った第二のBigupset元年~
メンバーが揃いがぜんやる気になったBigupsetは、この年1月24日開幕を敢行、その後も順調に試合を消化、前年までから格段に増加した28試合をこなした。また末永監督ルートで黒田(写真中)、福原(写真左下)、熊野(写真右下)といった『若手』選手の獲得に成功、機動力を含めたチーム力が格段に向上し、いよいよ本格稼動が始まった年。またこの年は、定例の春合宿、ガンバロウ大会参戦など、その後のBigupsetの定番行事が始まり、そして何より、佐藤肇のイニシアチブにより『Bigupsetホームページ』が開設、掲示板や出欠表などのインフラが整うことにより一気にチーム運営力が高まった。その意味でこの年は現在のBigupsetの『形』がほぼ確定した年でもあった。
個人記録では、前年に引き続き山下が首位打者・本塁打王の二冠、新人福原が盗塁王を獲得する活躍をみせたが、最多試合、最多打席と文字通りオールマイティの活躍を見せた楠本がMVPに輝いた。また投手部門では末永がチーム合計190イニング中129イニングを一人で投げきる活躍、まさに末永大黒柱時代でもあった。
その他トピックス
・初代ユニフォーム(アトランタ・ブレーブス仕様)
・新入団:橋爪、芝田
・2代目ユニフォーム(シアトル・マリナーズ仕様)
・新入団:福原、熊野、黒田
・ガンバロウ春大会:初戦敗退(四谷Rox)
・ガンバロウ秋大会:初戦敗退(ベイダース)
・春合宿初開催(ジャーニーロード)
・さとみんマネジャー、初登場(8月)
・黒須選手、助っ人で初登場(10月)
・ガンバロウ秋大会:初戦敗退(白金台ジャンキース)
・春合宿(山柄荘)
・櫻町 伝説の首都高越えホームラン(6月)
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・『大宮・来て打って帰るだけ事件』勃発!(9月)
・『三宿・降格人事事件』勃発!(12月)
・『五反田・デビル事件』勃発!(12月)
・新入団:橋本、飯田
・3代目ユニフォーム(完全オリジナル)
・ガンバロウ春大会:初戦敗退(That’s)
・ガンバロウ秋大会:2回戦進出
・春合宿(ニュー鹿南)朴さん指導(写真右上)
・櫻町、通算100試合達成(6月)
・櫻町、通算100安打&100打点同時達成(8月)
・福原、通算100盗塁達成(10月)
・大河原、通算100三振達成(10月)
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・『大宮・関白宣言事件』勃発!(5月)
・新入団:谷上
・ガンバロウ春大会:4回戦進出(ベスト12)
・ガンバロウ秋大会:2回戦進出
・春合宿(リゾートインあおの)
・大友 伝説の大会DVD作製
・村上、チーム通算1,000本安打達成(2月)
・黒田 伝説の100m越えホームラン(3月)
・末永、通算500投球イニング達成(4月)
・山下、通算100得点達成(8月)
・末永、通算100試合登板達成(11月)
・芝田(11月)、山下(12月)結婚
--------
・『大宮・牛角事件』勃発!(8月)
・新入団:富永
・ガンバロウ春大会:初戦敗退(西京信用金庫・写真右下)
・ガンバロウ秋大会:2回戦進出
・ワンデートーナメント準優勝(秋)
・山下、チーム通算100本塁打達成(10月)
・新入団:黒須
・ガンバロウ春大会:5回戦進出(ベスト6)
・ガンバロウ秋大会:初戦敗退(BS化成品)
・春合宿(リゾートインあおの:写真右下)
・櫻町、通算200試合達成(6月)
・末永復帰記念、復刻版ユニフォーム試合(7月:写真右上)
・大河原、通算200三振達成(12月)
・福原結婚(1月)
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・『大宮・ボヘミアン事件』勃発!
・『川崎桜川・蜃気楼事件』勃発!
・『松の木・提訴試合事件』勃発!
・『多摩川緑地・八甲田山事件』勃発!
世の中の出来事
・長野五輪(1998年)
・小渕首相(1998年)
・森首相(2000年)
・シドニー五輪(2000年)
・小泉首相(2001年)
・米同時多発テロ(2001年)
・ソルトレーク五輪(2002年)
・日韓ワールドカップ(2002年)
・三井住友銀行誕生
・六本木ヒルズ誕生
・原監督解任
・長嶋茂雄倒れる
・アテネ五輪
・楽天イーグルス誕生
・イチロー、メジャーリーグ史上最多安打記録
~楠本投手陣参加で試合数大幅増、個人記録華やかな年~
この年、末永ひとりに頼っていた投手陣に楠本が挑戦、危なげながらも21試合114イニング、5勝を上げる大成長を見せ、そのお陰でダブルを組むことも可能となる等、試合数が飛躍的に増加し、ついに年間40試合を突破した。
この年は個人記録が非常に目立つ年でもあった。中でも櫻町の42安打、152打席、51打点、13二塁打、村上の38得点、38四死球、黒田の10本塁打、長打率1.127、大河原の44三振、芝田の14試合連続安打、末永の110奪三振は、未だに破られていない年間史上最高記録だ。中でも打点王を獲得するなど大車輪の活躍をみせた櫻町が初のMVPに輝いている。
一方チームのほうは負け越し1で惜しくも年間5割を達成できず、またガンバロウ秋大会では白金台ジャンキースに敗北し通算3連敗となるなど、チームとしてはまだ完全に浮上できない状態でもあった。
一方、HP運営が軌道にのることで試合数も格段に増加、個人記録のリアルタイムアップデートや、通算記録のカウントなども始まり、Bigupsetが長期的に存続する素地が固められた時期でもある。
・ハリケーンカトリーナ
・JR福知山線事故
・ドイツワールドカップ
・トリノ五輪
・安倍首相誕生
・第一回WBC日本優勝
・福田首相誕生
・中越地震
・サブプライム問題勃発
・麻生首相誕生
・リーマンショック
・四川大地震
・北京五輪
・オバマ大統領誕生
・第二回WBC日本優勝
・政権交代・鳩山首相誕生
・マイケルジャクソン死去
・松井、ワールドシリーズMVP
・バンクーバー五輪
・管首相誕生
・尖閣漁船衝突事件
・南アフリカワールドカップ
・東日本大震災
・野田首相誕生
・ロンドン五輪
・政権交代、安倍首相誕生
~村上新体制発足、大会初勝利で黄金時代の足音~
前年に大幅に試合数が増加したことを受け、末永監督に負担が集中していた反省から、ボール係、審判係、道具係など雑務を分担する制度が定着。また前年末には弁護士山下の草稿に基づき『ビッグアプセット規約』が制定、『楽しんで勝つ』というBigupuset憲章が確定すると同時に、同規約に基づき村上監督が初の民主的手続きに則り誕生。新星Bigupset発足の年となった。
ガンバロウ春大会ではThat’sに初戦敗北し通算4連敗と、大宮鬼門説がとなえられる事態となったが、ここが実は歴史的ボトム。秋大会では初戦BDJ戦を見事コールド勝ちでついに大会初勝利! 春合宿では朴さん指導のもと連携プレー、挟殺プレー、牽制などのチームプレーを徹底するなどレベルアップ。すっかり定着した末永・楠本の2本柱に、シーズン後半にはビーグルスから橋本選手が入団し、振り返ってみればついに黄金時代への体制が整った年でもあったのだ。
なお、この年の末永の投球イニングは驚異の178回1/3、これは今までそしてこれからもおそらく破られることのない前人未到の年間最多イニング記録だ。
~ガンバロウ大会ベスト12進出! 『第一期黄金時代』の幕開け~
この年のハイライトは何と言ってもガンバロウ春大会。前年までのうっぷんを晴らすかのように初戦から3連勝、当時史上最高位のベスト12に進出する快進撃を見せた。またこの大会中に通算勝敗でついに勝ち越しに転じ、その後通算勝率は5割を割っていない。また年間でも初の勝ち越しを達成した。
この年は末永・楠本の2本柱が完全に噛み合い、打撃陣も前年参加の橋本が打点・本塁打の二冠でMVPの大活躍、山下・芝田・櫻町のクリーンナップに黒田・福原の俊足コンビ、熊野も3割をマークし3割打者が5人と打線も充実。規定打席到達も13人と、チーム力は充実し、まさに第一期黄金時代の幕開けとなった。
またこの年末永は年間14勝を上げ、これは現在まで破られていない歴代年間最多勝記録である。またシーズン終盤には当時現役高校生だった谷上が初参加、チームに新しい息吹を吹き込んだ。
~史上最高勝率で黄金時代継続、村上転勤で政権交代~
前年の第一期黄金時代は継続、この年は24勝8敗、勝率.750という圧倒的な成績で史上最高のチーム成績を残す年となった。芝田が首位打者で初のMVP、また芝田・櫻町・山下が35安打で最多安打を分け合い、橋本も前年に続き本塁打王を獲得するなど打線が充実、また前年参加の谷上が投手デビュー、秋大会でも先発するなど末永と同数の18試合に登板、9勝で最多勝、打っても本塁打王を橋本と分け合うなど、衝撃のデビューを飾った。
とはいえ、ガンバロウ大会は春初戦敗退、秋も2回戦敗退と振るわず。また夏には村上監督の衝撃の大阪転勤(単身赴任)が明らかとなり、急遽芝田が緊急登板。楠本の福岡転勤などもあり、第一期黄金時代に不吉な影が差し掛かった年でもあった。
~ガンバロウ史上最高位のベスト6! しかし黄金時代は終幕へ~
この年大活躍したのは楠本転勤、末永離脱の穴を埋めエースの座についた谷上。年間18試合、85イニングを投げ6勝で最多勝、ついにMVPを獲得。中でもガンバロウ春大会では全35イニング中32イニングを投げる大車輪の活躍で、チーム史上最高位の5回戦進出、ベスト6に大いに貢献した。春大会では谷上の快投に加え、ダブルスチールを多用するスモールベースボール、橋本、西村、山下などの鉄壁守備、大阪から毎週かけつける村上の気合など、充実したチーム力で史上最高の頂点を極めた。
ただし、楠本、熊野などの離脱、村上の転勤に加え最年長組も45歳を越えチーム力の低下も伺わせる事態が増えてきた。また夏場には谷上も肩を痛めるなど、秋大会は初戦敗退、シーズン後半には失速し勝率5割ならず。第一期黄金時代は幕を下ろし、新たな低迷期の影が忍び寄ってきた。一方、シーズン終盤には黒須の入団表明というビッグニュースが飛び込んでくるなど、新しいチームの姿を模索するステージの始まりでもあった。
~第二期低迷期に沈むも、立教コンビ参加で再浮上の兆し~
この年は前年末に参加した黒須がフル参加(写真左下)、また夏には黒須ルートで石井選手もコアメンバー入りするなど、第二期黄金時代に向けたチーム強化が着々と進んだが、チームとしての結果が出ずに苦しんだ年となった。結果的には4つの負け越し、2003年以来の低勝率、特に3月から6月中旬までは投打が噛み合わず1勝10敗という惨状、ガンバロウ大会も春秋ともに初戦敗退と、さながら第二期低迷期の様相を呈した。
そんな中、新たなコアメンバーがほぼ固まったシーズン中盤からは持ち直しの兆しをみせ、6月後半からは13勝9敗とチームの建て直しが進み、また秋のワンデートーナメントでは石井投手を中心に準優勝の結果を残すなど、翌年に向けた明るい材料を残して終了した。個人記録では首位打者、本塁打王の黒田がMVPを獲得、また石井が初年度にして防御率1位と奪三振王のタイトルを獲得した。特に石井のこの年の防御率1.59は現在までの年間史上最高記録である。
~3年ぶり勝ち越しで芝田監督勇退~
3月11日、東日本を大震災が襲い、Bigupsetも1ヶ月の活動休止を余儀なくされ、また慣例の春合宿も中止となった。そんな中Bigupusetは、立教コンビに新入団の田中を加えた新たな布陣でチーム力を着実に強化。ガンバロウ大会上位進出こそならなかったものの、最終的に5つの勝ち越しで3年ぶりの勝率5割越えを達成した。 この年、打撃陣では監督芝田が絶好調。初の三冠王としてMVPに輝くだけでなく、打撃17タイトル中14タイトルを独占する絶好調ぶり。投手陣では石井・谷上の二本柱が80イニングずつと大車輪の活躍をみせ、着実に結果につながった。
初の年間勝ち越しを決め、監督芝田や勇退を表明。後任には自ら立候補した櫻町の就任が決まりシーズンを終えた。
~新戦力充実、春大会ベスト8で第二次黄金時代の気配~
櫻町新政権がスタート。シーズン当初は5週連続中止というハプニングもあったが、新監督も持ち前のキャラクターで次第にチームを掌握、また鈴木、斉賀、大間といった強力な新戦力獲得にも成功し、ガンバロウ春大会には早くも4回戦進出、ベスト8という偉業を成し遂げた。
個人記録では黒須が本領発揮で首位打者と最多安打を獲得、また石井が投打に渡る活躍をみせ、特に石井の投手部門4冠独占(最多勝、最多セーブ、防御率一位、最多奪三振)は、2006年の末永以来の偉業だ。また打撃陣では西村が最多得点、最多四死球でチームに大貢献、特に23盗塁で盗塁王に輝き史上最高齢タイトル記録を更新するなど、充実した年となった。チーム成績としては負け越しとなったものの、第二次低迷期を経てコアメンバーの建て直しにほぼ成功し、2013年以降の第二次黄金時代の基礎が確立された年となった。(に違いない)
(2005.5.7神宮球場)
・新入団:石井
(写真右下)
・ガンバロウ春大会:初戦敗退(CTC)
・ガンバロウ秋大会:初戦敗退(ジーク・ジオン)
・ワンデートーナメント準優勝(秋)
・春合宿(リゾートインあおの:写真上)
・櫻町、通算200本安打達成(6月)
・黒須 伝説の青山墓地ホームラン(7月)
・冨永、チーム通算2,000本安打達成(12月)
・西武ドーム初登場(12月)
・新入団:田中
・ガンバロウ春大会:2回戦進出
・ガンバロウ秋大会:2回戦進出
・夏用セカンドユニフォーム導入(写真右下)
・春合宿:震災のため中止
・谷上、チーム通算10,000打席達成(6月)
・芝田、通算200打点達成(6月)
・新入団:鈴木、斉賀、大間(写真)
・ガンバロウ春大会:4回戦進出(ベスト8)
・ガンバロウ秋大会:2回戦進出
・春合宿:山柄荘
・芝田、通算1,000打席達成(8月)
・櫻町、通算300試合達成(10月)
・大河原、通算300三振達成(12月)・
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・『大宮・防犯カメラ事件』勃発!
・『和田堀・政権すっぽかし事件』勃発!
【番外編:ビッグアプセット名言集】
創立15周年、公式記録10周年記念、「記録でみるビッグアプセットの10年」第4弾は番外編で、「ビッグアプセット名言集」をお送りします。
10年間に数々の選手が思わず漏らした名言。それはその後も次世代への教訓として語り継がれています。今日はそうした数々の名言のなかから、記録係芝田が独断と偏見で記憶を頼りに選んだ10選、お送りします。
Bigupset名言集
名言一: 追いついたら捕れ
出典: バズーカ山下
解説: 名手山下ならではの含蓄ある名言。草野球でしばしば見られる、追いついているのに落としてしまうミスが最も許されないという戒めの言葉。試合中味方の守備のミスに対する指摘として多用されるとともに、しばしば揉める「ヒットかエラーか」の判定基準にも用いられる。
名言二: お前なんか才能だけでやってるんだ
出典: オールマイティ楠本
解説: とある年末近い打ち上げ。真剣な野球議論が繰り広げられるなか、奔放な言動の某選手に楠本が思わず言った言葉。才能だけでなく努力すればさらに能力が向上するのに、という親心だったが伝わらなかったようだ。その後楠本宅に遊びに行った時、数々のトレーニング本や努力の跡を目の当たりにし、楠本はやはりこう言う資格があったのだ、と思い知ったものだ。
名言三: 負けて、勝つ
出典: 巨鯨ビッグ櫻町
解説: 監督初年度、大会に敗れた櫻町監督がその次の試合前に吐いた名言。吉田茂を描いたNHKドラマのタイトルからとったもので、試合に負けてもそこから得るものがあれば勝ったのと同じだ、という意味と思われる。一方、「負けた次の試合は勝とう」という単純な意味だ、という説もある。
名言四: ファーストに投げればよかったじゃん
出典: オヤブン村上
解説: サードランナーのいる場面で内野ゴロ、キャッチャー村上は「バックホーム!」と叫び、捕った内野手はバックホームするも間に合わず失点。その際思わず村上が「バックホームって言ってもファーストに投げればよかったじゃん」と謎のコメント。「指示待ちにならず、各自自分で考えて行動しよう」という意味か。
名言五: まあ全体の指示は俺が出すから
出典: 社長兼CEO大友
解説: 真剣な試合前の打ち合わせ、ポジションや試合展開について熱い議論が繰り広げられ、議論が細かい方向に行きかけたときに大友が吐いた名言。CEO大友のさすがの間の取り方と大局観ある指摘に、一気に雰囲気がリラックスしたのだった。
名言六: あじたろうまでが大会だ
出典: クラッチ芝田
解説: いまやガンバロウ大会後の打ち上げの定番となった大宮駅前「あじたろう」。朝9時開始の試合に負けた場合でも11時から開いているから、という理由だけで選定された店だが、今や大会の一部ともいえる存在に。試合が終わっても打ち上げまでチーム一丸となっていこう、という監督の気持ちが表れたことば。
名言七: 来て、打って、帰るだけ
出典: マダックス末永
解説: ビッグアプセット初期、マッチメーク、審判手配、道具運び、助っ人調達など全ての雑務を一手にこなしていた末永監督。そうした苦労を知る由もない選手某の奔放な言動に、怒りの一言。これをきっかけに様々な雑務をみんなで分担するシステムが始まったのだ。おそらくビッグアプセット史上最も印象的な名言。なお、選手某が打撃不振に陥った際には、「来て、(打たないで)帰るだけ」という応用編もしばしば用いられる。
名言八: 天命を待つのは、人事を尽くしてからや
出典: 田中選手
解説: どうしても精一杯の努力をせずに結果だけを求め勝ち。そんなとき、櫻町監督が、田中選手が某サイトにつぶやいた名言に感動し皆に紹介したもの。まだまだ人間的にも成長できる、とナインもみな痛感したものだ。
名言九: あ、投げたいんだけど
出典: ガルシアパーラ西村
解説: ついに実現した憧れの西武ドームでの試合。憧れのマウンドは谷上投手が先発。限られた時間、貴重なマウンドを踏めるのは誰か。そんな緊張感のなか、監督が念のため西村に「もしかして投げたい?」と聞いたときに即帰ってきた答え。やはりピッチャーは常に自信満々でなければならない、と痛感したものだ。実際、西村は憧れの西武ドームのマウンドで見事に1イニング無失点に抑えたのだった。
名言十: バッティングセンターで4ゲーム
出典: 巨鯨ビック櫻町
解説: シーズンも押し詰まった一戦、試合開始になっても監督が現れず、電話もメールも連絡がとれない。ナインも何かあったのではと心配で試合に手がつかず、予想通り試合は大敗、大間選手の負傷というアクシデントもあり暗い雰囲気の試合終了後、悠々と登場した監督。試合時間を完全に2時間間違えていたのだが、責めるメンバーに、「いや~、バッティングセンターで4ゲームも打っちゃってさ」と謎の弁明。責任者たるもの、結果責任と説明責任が問われるという教訓を残した。