自転車旅行5.27 アストルガ⇒ビジャフランカ・デル・ビエルソ

5月27日(曇りのち晴れ)

from Astorga to Villafranca del Bierzo

◆胸突き八丁の始まり

数日間起伏はあるものの大きな坂道もなく走ってきたが、アストルガから三日間は結構な山道が続く行程になる。旅の計画段階で貧脚の身にとって走り切れるか最も自信の持てない所であった。実際“フランス人の道“をフルに走るのであれば少なくともピレネー山脈のフランス側の街、サン・シャン・ピエ・ド・ポーからの出発とも考えたがピレネー山脈越えに恐れ戦いてパンプローナにしたのであった。

歴史を醸すボンフェラーダ城、野原にある巡礼者の墓標

街を出て暫くすると長い上りが始まり、十字架の丘に近づくにつれて段々と傾斜がきつくなってくる。走っているLE6304の道沿いにはダートの巡礼道も並行しており、歩いて聖地に向かう多くの巡礼者が歩いている。足場の悪いダート道を避けてLE6304を歩いている人も多い。そんな巡礼者の多くが背負っているはずのリュックがなく、ストックだけを持った軽装で歩んでいる。もちろん、足取りが重かったり引きずって歩く人も多い。この先険しい山道が続くだけに様々ある巡礼サポートサービスを使う人が多いようで、その日泊まるアルベルゲまでリュックを託送している。中には荷物だけでなく車で移動する人もいるとのことなのでヤケに行き交うタクシーが多かった。

山道を歩いて上って来る巡礼者、人によっては足を引きずり上って来る。

◆十字架の丘“クルズ・デ・フェロ”

ギアを最も軽い段階にまで落として自分の脚力が続くペースで長く続く上り坂をゆっくりゆっくり走る。高みに上がるに連れて走ってきた道が下の方に見えてくる。そしてアストルガの街からおよそ650m上り標高1503mの十字架の丘”クルズ・デ・フェロ”に到着した。小さな丘の上に、先端に十字架を付けた大きな木柱が建てられている。近づいて行くと丘には石や板に名前やメッセージを書いたものが散在している。また、柱にもいろいろな国の旗、故人と思われる人の写真やメッセージが飾られている。

デットがメッセージを書いた石を置く。わざわざ祈りの言葉を書いてオランダから持ってきたのだという。

十字の丘、クロズ・デ・フェロ、ポールの根元辺りには祈りを捧げるものが数多く置かれている。

◆下り坂注意

十字架の丘から暫く走るとこの行程で最も標高の高いもう一つピークがあるが、それを過ぎると7~8%程の下り坂が続く。同じ調子でずっと下って行くのでブレーキをかけずに走るとあっという間に50kmを超える。左右にカーブし路面もそんなに良くないので慎重にブレーキングして30km前後まで落として走る。頑丈な造りの自転車に乗ったオランダ人達はお構いなしに先へ先へと走って行き、すぐに見えなくなる。あっと言う間に12~3kmも下り切ると美しい村モリーナセカに着く。遥か先に行ったスピード狂の三人がにこにこ顔で迎えてくれる。

長い坂を一気に下ると美しいモリーナセカに着く。ここでゆっくり一休み。

◆谷あいの街ビジャフランカのホテル

オランダ3人組と走るようになってから全くホテル探しが不要だった。彼らが予約してあるホテルについて行き、他に一部屋ないかと尋ねれば事足りたのである。更に、ホテルを探す必要はない上に当たり外れもない。その訳は三人は11年前にも巡礼道を自転車で巡り同じ「フランス人の道」をサンチアゴ・デ・コンポステーラまで走り、その時に良くなかったホテルは外し、代わりにネットで充分に吟味して新たに探したところを予約しているので悪いはずはなかった。この日のビジャフランカのホテルも何時にも増して素晴らしいホテルだったが残念ながら初めて満室だと断られた。しかし替りのホテルは隣だと指を差して紹介してくれる。落ち合うのも簡単だ。シャワーを浴びてさっぱりしてから外に出れば、そこには既に3人組が美味しそうに冷えたビールを飲んでいる。飲めない私も一緒になってワイワイガヤガヤ楽しむのであった。(走行距離 80km)

ビジャフランカの街を過ぎると上り坂はいっそう厳しくなる。

自転車旅行5.28 ビジャフランカ・デル・ピエルソ⇒サーモス