2022年 日本復帰の5年

1972年5月15日に、アメリカによる沖縄(琉球諸島及び大東群島)の施政権は日本に返還された。それから50年、今年は日本復帰の50周年である。

思い出すのは、復帰30年を迎えるに当たって、沖縄タイムス社が、『沖縄タイムス』紙上で2001年1月から始めた連載「ぬくさびらな・島くとぅば」(残そう・島ことば)の最初に載った沖縄芝居の大御所、故真喜志康忠さんの言辞である。その一部を掲げよう。

戦後―、うちなー口ぇ、しでーに廃れてぃ、やまとぅ口さーにうちなー中が話しーするくとぅんかいなたん。くれーいいくとーやしが、うぬ代わい島ぬしなさき忘たん。

(戦後、沖縄の言葉は次第に廃れていき、本土語で沖縄中が話をするようになった。これはいいことではあるが、その代わりに沖縄の人情を忘れてしまった。)

  うぬままゆたさんでー思―んしが、今ぬうちなーんちゅや、まーんかい向かいてぃ歩ちゅがしむら、分からん立場なてぇーうらに。

  (このままでいいとは思わないが、沖縄の人はどこに向かって進んでいいか分からなくなっているのではないか。)

  島ぬくとぅば大切にすんでぃーしぇー、暮らし向ちくぬくとぅばし、物事すびてぃ考えーるちむぉーあらん。「むとぅじ忘んなよ」「生まり島忘んなよー」でぃいいるちむぇーるやる。

  (各地の言葉を大切にするということは、生活をこの言葉ですべて考えることではない。「故郷をわすれるな」ということだ。)

そういえば、沖縄の復帰に先立つこと約20年前に日本復帰を果たした奄美群島が復帰50周年を迎えたのは2003年12月のことであった。私はその直後に奄美大島の瀬戸内町に出かけたのであるが、当時、瀬戸内町公民館の館長の大村靖夫さんが、「これまでの50年は本土に同化させられ、奄美らしさを奪われ続けた半世紀であった。これからは本当の奄美復帰をめざして努力したい」と語っていたことも思い出されてきた。

2022.5.1