2005年 夏

張貼日期:Mar 05, 2011 5:33:37 AM

越中五箇山で生活していた、まだ幼い頃のことである。

父が、勤めていたカンデン(関西電力)の発電所の人たちと一緒に、富山湾の雨晴海岸へ海水浴に連れていってくれた。

私はトラックの助手席で父の膝に乗っていたが、ほかの人たちは荷台で揺られていたように思う。細尾峠で休憩して、発車する際に、私はドアに指を挟んだのであった。かつて関西での電車のドアの掲示にあった「指づめ注意」のユビヅメである。ものすごく痛かったがそのまましばらく我慢していた。運転者が見つけ、急いでドアを開けてくれたが、爪の半分はすでに黒く変色していた。父が、何故すぐに言わなかったのか、と叱ったが、私は、周囲を意識して声を上げられなかったのであった。あぶら汗をかきつつも、である。

このような臆病さ、意識過剰、そして内向的な頑なさは私の性向のようである。現在もその性向が時として現れることがあるように思う。残念ながらそれを否定はできない。

雨晴ではボートに乗って遊んだ。その折、父がボートから滑り落ち、しばらくもがいたあと水面から沈みかけたのである。私はそれをおびえながら見つめるだけであった。しばらくしてその状況を周りの人が気づき、おぼれる父をボートにひっぱり上げてくれたのであった。その情景がいまも鮮明に脳裏にうかぶ。

あのころは父も若かった。

2005.7.18