張貼日期:Mar 05, 2011 5:47:47 AM
石田外茂一「五箇山民俗覚書」には、62年前の終戦の日の前後を描いた生々しいドキュメントがある。以下に掲げよう(寺崎満雄氏の翻刻による)。
「ラジオあ、日本ナ負けたテ言うとる」と泣いてわめいて末っ子が帰って来た。
外へ出て行っていろいろ聞いてみると玉音放送があったという。私は敗戦の覚悟はしていたがこんな形で来るとは思いもよらなかった。日本人がミナゴロシになるまで行くものだと思っていた。山岳地帯に追い込められながら最後まで戦うものと思っていた。こうして日本人は滅亡する。いや滅亡してはならない。山蔭のどこかにでも日本人の種を保存しなければならぬと思っていた。そんなことを考えていたと述懐するのは恥ずかしい気もするがそれでもジープという小型自動車は、日本の山岳戦を考慮に入れて造られたものだとの噂も聞いたこともあるので、私の思いもあながち一笑に付せられる事でもないだろう。
これ以上無辜の民を犠牲にするにしのびないと仰せられた聖慮には、私は全く感激した。日本人がミナゴロシになることなくして戦争が終るとは大御心の有難さに感涙した。私は殺されたくない、だから他を殺したくない。殺すことなく殺されることなく終戦になったことを熱烈に感謝した。私は戦前戦後を通じて陛下を人格者として尊敬申上げている。陛下は政治家ではなくて科学者であらせられる。私は陛下の科学者魂を尊敬申上げている。
ところがこの点が軍部の気に入らぬ処であり近臣の心配の種であって、彼らは陛下の科学研究を封じようとして来たのであるが、それらの圧迫にもかかわらず凛然厳然と科学の道を歩み続けられ、世界的な業績を残しておられ、いまやいよいよ研究に御精励である。陛下は政治家ではなく科学者であられることが、最も高邁な政治をなさって来ておられるということだ。思っても見よ、山下将軍が死刑直前に、米国の新聞記者から「日本はなぜ戦争に負けたと思うか」と聞かれた時に「サイエンス」と一言いったという。これは、日本が負けたのは工業などといった実利面における科学がおくれていたためだという意味だったかもしれない。だが、これを更に高次の意味に解してみるならば、これこそ軍部の過誤をよく象徴しているのではないか。これこそ陛下が政治家ではなくて科学者であることが却って陛下が、更に高次の意味において政治家であり、ここに日本の行くべき道が象徴されていると私は思う。
当時、ふるさと五箇山に、石田外茂一という、瑞々しい感性と先を見通す識見とを備えた人間が存在していたことを忘れないようにしたい。
2007.8.7