張貼日期:May 01, 2017 8:31:35 AM
1946年8月24日とその執筆時期を明記した石田外茂一の幻の小説『弥右衛門宛五箇山消息(第一信)』の一節から(ここでの引用は、石田の謄写刷りの原稿を寺﨑満雄氏が転写したものによる)。
庄川からは春夏秋―冬をのぞいた三季には、川筋一面モーモーと靄が立ちこめるのです。そして対岸の、あのコブコブした丸っこい山々―山峡独特の量感を現したコブ山の連なるツギ目ツギ目の谷合いから、ムラムラと煙るのは、雲か靄か、コントンとして刻々に生動してやまぬのです。創世期に生きている心地です。さしづめ私は旧約聖書のノアですネ。
私は本当にノアなのです。
満州国ができた時、擬似国家がデッチあげられたと言って同席の人に憤慨された私です。戦中は実に生きにくいことでした。南京を占領して旗行列、提灯行列が行なわれた時、この戦争は、昆虫の進軍だヨと言って、これまたひどい目にあいました。だが全くその通りだったんですヨ。南米だかの大蟻が移住しはじめると、その通過する処、一木一草をもあまさず、牛馬をも食いつくし、大河あれば、先ず先頭の一匹が飛び込み、つぎの一匹が、それに取ッつき、更につぎの一匹が取ッつき、という具合にして、団々たる蟻の大塊となって、コロコロと大河を転げ渡り着き、生き残った者が上陸前進し、遂に全滅するという。全くそれですネ。その本能的で無計画なところは、必勝の条件なんか一つもありません。私には今更新聞なんか見て一喜一憂する必要はありませんでした。私は予言しました。その度にヒドイ目にあいました。しかも予言は一いち当っていきました。私は家族に、私はノアだ、新しい世の中がはじまる、その祖先になるのだ、ともに箱舟に乗れと厳命しました。箱舟は東京の地を離れて富山市に一時碇泊して後、この地に着きました。降伏が報ぜられた昨年八月十五日、私は、水が低きにつくがごとく、来るべき時が来たというほか、今更何の感慨もありませんでした。人びとが驚き怒り嘆き悲しむ中にあって、ただ独り、静かに、私が人を殺すことなくして戦争が終わったことを、熱烈に感謝しました。
だが、まだ洪水は、終わったのではありません。
2017.5.1