2020年 風土論について

張貼日期:Jun 29, 2020 11:47:41 PM

その昔、大学院博士課程の入学試験での面接で、面接官の日本思想史の先生から、突然に「風土ということについての考えを述べてみなさい」と尋問されて、たじろいだことを思い出す。その時は、「和辻哲郎の著書の名前ですけど…」くらいの回答しかできなくて自責の念にかられたのであった。

そのあとで、和辻の『風土』(1936)を一生懸命に読んだものである。

和辻によれば、日本はモンスーン地域の中でも特殊であって、その風土的特性は「熱帯的・寒帯的」といった二重性において捉えられるとする。日本人の性格を、「単に熱帯的な、従って非戦闘的なあきらめでもなければ、また単に寒帯的な、気の永い辛抱強さでもなくして、あきらめでありつつも反攻において変化を通じて気短に辛抱する忍従である。」と規定する。そして、そのような日本人特有のあり方を和辻は、「しめやかな激情」と「戦闘的な恬淡」といった言い回しで表すのである。さらに、そのように捉えられる性格が、日本人の人間関係のあり方、家、国家という共同体の形成の仕方にどのように現れているかを記述していく。

次のような表現がある。「我々は、家のアナロギーによって国民の全体性を自覚しようとする忠孝一致の主張に充分の歴史的意義を認める。それはまさに日本人がその特殊な存在の仕方を通じて人間の全体性を把握するその特殊な仕方にほかならぬのである。そうしてこのような特殊な仕方が可能であったということは、日本の国民の特殊性が家としての存在の仕方に最もよく現れているとともに、国民としての存在の仕方そのものに同様な特殊性の存することを示唆しているのである。」

しかし、私は「家」や「国家」といった、あるいは「世間体」のような社会的概念の形成までをもそのような風土論において捉えていいものかどうか、そこまで飛躍していいのか、といった疑念も抱いたのであった。

この点に関しては、かつて阪大での同僚であった子安宣邦さんが、和辻の『風土』についての解説をしていて、その言辞によって、私の蟠りが少しばかり晴れたことなども思い出されてきた。

その言辞の一斑を掲げよう(「和辻哲郎-その日本認識のあり方-」『大阪大学放送講座 日本研究の先達』1987による)。

『風土』のもつ文学性、ことに日本的性格の叙述が見せる文学性に私は首をかしげざるをえません。虚偽的なくさみを私はそこに感じざるをえないのです。…ここ(真田注:上記のような表現)に見るのは、日本の近代がもってきた家族国家観というイデオロギーを、「しめやかな激情、戦闘的な恬淡」といった言葉をもって修飾しなおしたものにすぎないではありませんか。

(2020.7.1)