張貼日期:Mar 05, 2011 5:54:45 AM
黒竜江省の佳木斯(ジャムス)はまだ凍て付いているのだろうか。
佳木斯を訪ねたのは2006年9月のことである。中国東北部、かつて満州と呼ばれたこの地域における日本語の残存とかつての日本語教育の状況を調べることを目的とした訪問であった。
その折に、「満州国」の首都、新京(現在の長春)にあった国立大学、建国大学の学生として学んだ李徳生さんと会うことができた。李さんは、予備科を経て、教育学を勉強した人である。
建国大学については、私の東北大学での恩師、佐藤喜代治先生が戦前に教鞭をとった大学なので、ことさら関心があった。当時としては比較的自由な校風もあった由でもあり、戦前の教育の様子を聞きたいと思ったことが幾度かあるのだが、先生はいつも寡黙であった。中国人学生の作文の誤用の傾向に関しての話を少しうかがっただけで、それきりになってしまっていた。
李さんからは、当時の学校、教室でのさまざまな状況を聞くことができた。学校は全寮制で、中国人、日本人、朝鮮人、モンゴル人、ロシア人の学生が寝食を共にした。寮は「塾」と称されたようである。談話の中での、
「建国大学の人は大部分、中国共産党に傾きます。」「授業のときにも先生の話を聞きません。後ろの座席に座って、自分の本を読んでいます。」
といったくだりはことさらに興味深かった。当時、反満抗日活動を行った中国人学生が大量に検挙された歴史を知っているからである。建国大学出身者は、後の文化大革命で迫害されるなど、悲劇的な運命を辿った者が少なくない。しかし、李さんは毛沢東からもらった直筆の手紙を保管していたために放免になったのだという。
その李さんの悲報に接したのは、お会いしてからわずか2ヶ月後の2006年11月のことであった。心筋梗塞であったという。
歴史の語り部たちが相次いでこの世を去っていく。それを見送るのが辛い。
2008.3.5