2019年 一葉

張貼日期:Jan 31, 2019 9:35:30 AM

台東区立・一葉記念館は、寓居から歩いて約20分の距離にある。

先般、「下谷龍泉町の樋口一葉」というテーマでの特別展が開催されていたのでのぞいてきた。

この記念館は、一葉が1893(明治26)年7月からの約10ヶ月間を過ごした場所に建てられている。

一葉は、この時期、ある境遇のために、一旦筆を折り、この地で商い(荒物駄菓子屋)を始めたのであった。吉原遊郭に接するこの下谷龍泉町での苦しい生活体験と遊郭界隈での子供たちの心理描写が、後に小説「たけくらべ」として結実したのである。

ところで、一葉が筆を折った理由の一つは、師事していた作家、半井桃水への儚い恋の挫折、そして彼との絶交の痛みであったようだ。

そのことについて少し調べてみた。そこで明らかになったのは、一葉の親友であった野々宮菊子という女性の存在である。

菊子は、桃水の妹の幸子と築地女学校の同窓であった由で、小説を書きたいと考えていた一葉に桃水を紹介したのである。一葉と桃水はその後親しい仲になったのだが、菊子はそのことを妬んだのか、桃水の家に下宿していた鶴田たみ子が妊娠したことを知り、それを桃水の仕業だと偽って一葉に伝えたようである。ただし、実際には、たみ子の相手は桃水ではなく、弟の浩なのであった。一葉は、菊子の虚言を信じて、結局、24歳で亡くなるまで、その真実に気が付かなかったという(Rakuten GLOG 「COCOに幸あり PART2 」2006.11.22による)。

このたび、野々宮菊子が、千葉県の香取郡多古町の出身であることを知った。多古町は、1980年から1982年にかけて、方言基礎語彙の調査で何度も通った、私にとって忘れられない地である(その調査での結果は『千葉県のことば』明治書院1997に収載されている)。

また、このたびの特別展では、一葉と菊子が親しかった頃、菊子の盛岡の女学校への赴任にあたって、一葉による送別の歌の書かれた短冊(複写)が展示されていて感慨深かった。その歌を掲げる。

ミちのおくの いはてそ今日は しのはまし 別れくるしと おもふこゝろを 夏子

「夏子」は一葉の本名である(ただし戸籍名は「奈津」)。

(2019.2.1)