張貼日期:Mar 05, 2011 4:42:11 AM
小学生の頃、家で猫を飼ったことがある。私の懇願を受けて父がどこからか貰ってきたのであった。私は随分とかわいがった。夜には蒲団の中にいれて一緒に寝たりもした。その甘やかしのせいで、しつけの悪い猫になってしまい、自分では爪も研がず、トイレの場所も定まらない、だらしのない、いわばウンニャンになってしまった。
そのウンニャンで忘れられない光景がいくつかある。冬の下校時にはいつも一本の雪道を在所の入り口まで迎えに来てくれていたのであるが、私を認めたそのときのうれしそうな表情、また、飯台に置かれた魚の入った皿に、目をつむりながら下から手をそっとのばして触れようとしていたときのユーモラスな表情などは今でもときどき思い出す。
ウンニャンはしかしネズミも取れない駄目な猫ということで捨てられることになった。梅雨入り時のある日、会社にいく途次、途中の橋の上から川に捨ててきた、と父から聞かされたのである。
その翌日、学校で下級生のFが、登校の途中、橋に這い上がってきた野良猫がいたので、捕まえて橋の下の川に投げ捨てた、と友人に語っているのを耳にしたのである。そのとき何故かとても腹が立った。そして猛然とFに殴りかかったのであった。理由は言わずに、である。Fは、いぶかしげに「なんで殴るがよ」と言いつつも、殴られ続けていた。
人を殴ったり蹴ったりしたのは、そのときがたぶん最初で最後である。殴られ倒れたFの背中の鞄から弁当箱が転がり落ちた。私はそのアルミの弁当箱を踏みつぶした。Fは「なんで殴るがよ」と何度も叫んでいたが、私は何も答えなかった。
そして、このことはずっと私の心の中に引っかかっていたのである。しかし、そのことをFに告白できないまま長い年月が過ぎてしまった。
先年、Fさんと会う機会が訪れた。その折、私はそのことを間接的にではあるが話してみた。Fさんは、「俺、なん覚えとらんぜ」と言ってくれた。やった方が覚えているのに、やられた方が覚えていないはずはない。Fさんの心根が嬉しかった。
そのとき、私の心の中にあったわだかまりが、すっと晴れていくのを感じた。
猫をめぐってのFさんに対する行為の記憶は、私にとってまさに「トラウマ」なのであった。
2003.6.10