張貼日期:Mar 05, 2011 4:43:38 AM
かつて、次のように記したことがある。
戦前・戦中、日本の植民地であった台湾、朝鮮半島、南洋群島、さらには占領地である中国、東南アジアの各地域における日本語教育、日本語普及が、単に語学的な技術の問題、方法論の問題、教育的な実践の問題だけではけっしてなかったように、戦後のいわゆる国語改革論争も、単に技術的な問題についての対立、論争とのみ考えるわけにはいかないと思う。(中略)が、指摘すべきなのは、戦後の論議が「国語」に限定され、「日本語」について語られることがほとんどなかったという点である。戦前・戦中に外地で日本語教育に携わった、あるいは日本語の普及に関係した多くの人々、あれほど声高に日本語教育を語っていた人々が、敗戦後、その経験を自分の研究活動の中にあえて持ち込もうとはしなかったのである。自ら体験した「日本語」の問題を、閉鎖的な「国語」の問題に切り換えてしまったのである。
(『脱・標準語の時代』小学館文庫 pp. 107-108)
国語学会がいよいよ来たる1月1日から学会名を「日本語学会」と改名する。
昨年、学会でそのことをめぐるシンポジウムがあった。その合間での会場校側代表者のあいさつの中に、「日本語は世界でいちばん美しい言語なので、云々」という表現があった。その瞬間、後ろの席の韓国人女性学生からの、「アー」というひそかな溜息のもれるのが聞こえた、ように私には思えた。
「国語」であれば、けっしてこのような文脈は構成できないわけである。
「国語」ということばは、「自衛隊」ということばとともに、日本人の視野、行動を国内にとどめておくための役割をも果たしていたのか、と考えつつ、ある感慨にひたったのであった。
2003.12.8