2011年 竿燈

張貼日期:Aug 06, 2011 12:16:20 PM

蜷川幸雄演出の「たいこどんどん」を見た。この「たいこどんどん」は、井上ひさしが、小説「江戸の夕立ち」を自ら1975年に劇化した作品である。

作者、井上への追悼と東北の被災地への鎮魂の思いを連ねた蜷川演出は、巧みで、ずっしりと、見応えのあるものであった。ひょんなきっかけで江戸から東北へ流れ着いた男二人の珍道中。駄洒落や歌、踊りを交えながらの、底なし沼の東北巡り。沖の大波のなかを漂流するくだりや役者たちの哀愁のこもった東北弁の抑揚が被災者の今と重なって、胸に迫るものがあった。

さて、9年間の漂泊の果てに辿りついた江戸は・・・すでに維新を迎えていた。

明治国家の殖産興業、その近代化をたたえる皮肉なラストソングを聞きながら、最近目にした川田順造さんの文章を思い起こしていた。

アジア・アフリカ諸国で、私たちはしばしば「日本は伝統文化を保ちながら近代化を果たし、欧米諸国を凌駕しさえしたが、それはどのようにして可能だったのか」と訊ねられる。私はそれを、現実と一致しない神話だと思う。日本の「近代化」は多くのゆがみを引きずって成立したもので、とくに太平洋戦争にいたる経過は、そのゆがみが拡大されてアジアの近隣諸国にも日本自身にも大きな禍をもたらした。

明治維新以来「近代化」された大日本帝国が、このような災厄を内外に及ぼした果てに、成立後77年で崩壊した事実から見ても、日本の「近代化」が、けっして肯定的にだけ評価されえないことは明らかだ。アジアの一国である日本が、現在以後の世界で、多くの面で立場を共有するアジア・アフリカ諸国に立ち交って、どのように自らを位置づけていくか、政治・外交・経済・文化など、現実に対応を迫られている領域における諸問題を考える上での、広い視野に立った認識が、いま問われている。

(「民博通信」132 から)

2011.8.6