2021年 最後の力

張貼日期:Feb 13, 2021 1:13:53 AM

米原万里さんが逝って、もう15年もの時が過ぎようとしている。米原さんの逝去の際、私は、「彼女の、『口が悪い』とさえ評されるようなその大胆な言辞の内側に、繊細さと気遣い、そして優しさが溢れていることを私は捉えていた。…享年56歳、あまりにも早い。」と記したことであった(『変わりゆく時見るごとに』桂書房)。

そのあたりのことが何故か夢の中で現れてきたのである。起き上って、1995年から2006年までの彼女の書評類を収録した『打ちのめされるようなすごい本』(文春文庫、2009)を改めて手に取って、詳しく読んでみたのであった。

米原さんについては、弱音を決して漏らさない強い人、などと評されることが多いのであるが、彼女が最後の力をふり絞って書いた「癌」に関する記述からは、それが全く誤解である、と改めて思うのである。以下の文章には、彼女の感傷が直截に現れているではないか。何とも切ないのである。

診断は卵巣嚢腫。破裂すると危険なので内視鏡で摘出することになった。「健康保険制度がないため入院費がバカ高いアメリカでは日帰りで済ませる手術です」と執刀医。「入院は五日間で十分です。すぐ仕事に復帰できます」とも。それでも、術後は真夜中まで朦朧としていた。麻酔が切れかかったとき、母が危篤状態になったと知らされた。翌朝、車椅子を押してもらって母の病棟まで行った。回復不能なのに人口呼吸器が取り付けられた母の身体は温かく、手を握り締めていると涙が止めどなく流れてくる(週刊文春、2003.11.27)。

・・・

覚悟はしていたが、抗癌剤治療を受けた直後の一週間はすさまじい嘔吐と吐き気に襲われ、死にたいと思うほどに辛かった。三週間以上が経過している今も未だに後遺症に苦しんでいる。二日に一度は嘔吐し、体力は落ちていく一方で、ほとんど寝たきり。それでもO医師は腫瘍マーカーCA125が6246から1857まで下がったことに自信を深めていて、すぐにでも二回目の投与を開始しようと言う。しかし、この体力では、癌が壊滅する前に私自身が壊滅しそう。それよりも何よりも、あの苦痛を再び被るのは嫌だ。恐怖だ。そもそも二年半前に卵巣癌を摘出して以降、とくに一年前に左鼠蹊部リンパ節へ転移して以降は、何とか肉体へのダメージが大きい手術と放射線と抗癌剤治療だけは避けようと、癌治療に関する書籍を読みまくり、代替療法と呼ばれる実にさまざまな治療法に挑戦してきたのだ。身を以て、本が提案する治療法を検証してきたとも言える。結果的に抗癌剤治療を受けざるを得なくなったその経緯は、万が一、私に体力が戻ったなら、『お笑いガン治療』なる本にまとめてみたいと思うほどに悲喜劇に満ちていた…(週刊文春、2006.2.23)。

2021.2.14