2020年 戦後75年

張貼日期:Aug 14, 2020 12:2:23 AM

仙台での学生時代からの知己、本間和夫君から39年前の1981年にもらった『山形・戦没兵士の手紙』(山形放送編、1981)という本を、改めて手に取って読んでいる。

本間君は当時、戦没兵士の遺族の方々への取材を担当した報道部記者の一人であった(後に山形放送の社長を務める)。

この本は、山形放送が1981年4月から65日間にわたって放送したラジオ番組の内容を掲載したものである。その中の一斑を引用する。これは、昭和20年4月7日、神風特攻隊員として沖縄海域で戦死した兵士(工藤双二)が、両親に宛てた書簡(昭和20年3月27日付)の写しである。

謹しみて一書を。御両親の膝下に呈し二十余年間御愛育下され候御礼恩を謝し奉り候。

国家存亡の秋 はからずも身兵籍にあり 而も光栄ある海軍航空隊の一員として 陛下の膝下に斃るるは双二の本望とするところ 笑って死地に就き申し候。

母上 双二戦死の報に接し候とも 悲しみ御身体を障るが如き事ありませぬ様くれぐれも御願ひ申上候。永久に死するとも常にお傍に参り候。

今まで無理のみ申し 心配のみおかけ申し 何一つ親みる行らしき事なせしためしなき私に候へど 残され候唯一の親みる行を実行仕り候。今は何一つ思ひ残す事なく 国恩の半分にも報じ奉らんと欲し 茲に御別れ申上候。

親戚の皆様に宜敷しく御願ひ申上候。 双二

父上様

母上様

御一同様

この本の「おわりに」には、「戦後36年たった今日、戦争体験の風化が指摘されている。しかし、あの不幸な戦争体験は永遠に語り継いでいかねばなるまい。」とある。本の出版は敗戦の36年後であった。そして、その時からさらに39年もの歳月が経過した今、あの狂気ともいうべき時代の記憶は、はたして正しく引き継がれていると言えるであろうか。

(2020.8.15)