張貼日期:Mar 20, 2021 2:30:40 AM
1868年9月、元号が「慶応」から「明治」と改められた。その2ケ月前の7月に「江戸府」を「東京府」とする詔書が出されていて、江戸改め「東京」は名実ともに日本の首都となったのである。
「東京」という語は、西の京都に対する〈東の都〉の意味であるが、その意味では、すでに菅原道真の『菅家文草』に、九州の太宰府から見て東方にある京都を「東京」と表現した例が見える。
また、中国には多くの「東京」が存在する。『日本国語大辞典』(小学館)によれば、「唐の副都の洛陽」「北宋の都の開封」「遼・金の遼陽」「渤海の上京龍原府」などが、かつて「東京」とも称された由である。
ところで、「東京」の読み方は、明治前期には、「トウケイ」と「トウキョウ」との二通りがあって揺れていた。その一例を掲げよう。
まず、漢音読みの「トウケイ」。用例の括弧内はルビを示す。
・「東京(とうけい)かんかん神田の八丁堀に」(仮名垣魯文『西洋道中膝栗毛』明治3~9年)
・「華族方が東京住所(とうけいすまゐ)になられたとて」(仮名垣魯文『安愚楽鍋』明治4~5年)
・「知識に長じたる東京人(とうけいじん)には、ふさわしからざる振舞に」(坪内逍遥『当世書生気質』明治18~19年)
・「世上に行はるる東京言葉(とうけいことば)を取もちひて」(坪内逍遥『小説神髄』明治18~19年)
・「東京(とうけい)に居る叔父の許へ引取られる事になり」二葉亭四迷『浮雲』明治20~21年)
次に、呉音読みの「トウキョウ」。
・「東京(とうきやう)へ帰り浅草本郷と捜しましたが」(三遊亭円朝『英国孝子之伝』明治18年)
・「大江戸の、都もいつか東京(とうきやう)と」(坪内逍遥『当世書生気質』明治18~19年)
このような読み方の揺れが「トウキョウ」に統一され、普及したのは、飛田良文『明治生まれの日本語』(角川ソフィア文庫)によれば、明治37年から全国の小学校で使用された国定教科書『尋常小学読本』の力(ルビ表記がトーキョー)によるところが大きい、とされる。そして、大正4年に開業した東京駅の駅名表示が「とうきやう」となった段階で「とうけい」は完全に息絶えることとなった。
2021.3.21