2021年 淡紅の山肌 不思議なバージニティー

張貼日期:May 01, 2021 1:27:23 AM

石田外茂一『弥右衛門宛五箇山消息』の「第三信(天狗かくし)」での一節から。この文章の執筆日時は、1946年9月21日である。

庄川両岸は、岩くずばかりで成り立っています。畑でさえも、鍬のひと打ちごとにカチリ、カチリと、岩くずに刃先が当たるにきまっています。ひと鍬でも音せずにサクリと入ることがあったらお目にかかりますといったところです。山々はもちろん岩の累積です。でも雑木でスッカリおおわれているので、妙に柔らげられて、人体を連想させます。しかも男性ではなくて女体で、その臥体です。山の盛り上がりの角度がひどく急なもンですから、蒲団着て寝た、でないことはもちろん、裸婦の臥体です。都会の骨ぼその肉うすのレディではなく、ドカンとアバズレしたのではもちろんなく、健康そのものの山の乙女です。骨格もたくましく筋肉もはりがあり、色ツヤも皮膚呼吸の気息が、体をとりまく空気を、打ちふるわせ、ムンムン匂わせているほどです。皮膚にはミジンのシミもなく、まだ開かれぬアタタカ味が、匂いをたてて息付いています。不思議なバージニティーの魅力です。

弥右衛門さん

想ってもみて下さい、どうです、あの、春先の雑木の葉芽がポート赤らんでいる山の容を。全く匂うという感じです。色彩について匂うという言葉を用いるに、これほどふさわしいものが、またとありましょうか。

鳥瞰図的に見れば、庄川を中にして両側に串ダンゴのように連なっている山山の、クッ付きのクボミが谷で、そんな谷がいく筋も、いく筋も、庄川へ落ち込んでいます。この谷を、ですネ、われわれ人間が庄川峡間の狭小な居住地から見上げると、裸婦の臥体なのですが、ここに注意すべきことは、横に臥して体側を見せているのではなくて、仰臥しているのです。それを、その足許に低く、身をひれ伏して、見上げ見すかし見はるかした状態です。筋肉がしまり皮膚が張り切った山の乙女、何のはじらいもなく、身を正して仰臥し大腿筋のよく発達した両モモの湾曲部を締め合わせて出来た線の深さです。この線がのぼりきったところで下腹部に達して左右の鼠蹊部の線となって消えていきます。さらに遠く重なる山山は、盛り上がる胸、コモコモとつつましやかな、お椀を伏せたような乳房―その底には、確かに、鼓動打つ心臓があっていいはずです。

ところがですネ、弥右衛門さん、このあわいハニカミをあらわした淡紅の山肌も、春の目覚めに、日に新たに、日に新たに、なっていきます。いや、朝と夕と、もうその色調が変化してしまっています。噴き出して来る萌黄は、樹種にしたがって濃淡明暗暖寒のあらゆる段階の複雑微妙な調子によって、乙女の肌にしか見られぬ色ツヤそっくりです。

ああ弥右衛門さん

世の中に私ほど山肌に女体美を感覚した者はありませんでしょう。その点、自負していいでしょうネ。そうだとすると、これが、山姥にだまされ、天狗にかどわかされ、狐狸にのりうつられたのでありましょうとも、私は悔いません。いやいや、悔いないなンてそんなものじゃありません。むしろ、幻幻たる痴人になりおうせたことを、光栄して誇ってやまない気持ちです。というのは、私には、境遇と健康と性格との故でありましょうか、楽しい子供時代というものはありませんでした。幼年の無邪気、少年の快活、青年の闊達というものはありませんでした。ただ暗鬱な懊悩苦悶があっただけであります。私の人生行路は、初老から青年へ、青年から少年へ、少年から幼年へ、と遡行しているのでありましょうか。

石田は後に、この小説の原本を謄写した際(1970年10月)の「あとがき」で、「この作品は散文詩のつもりですが内容は事実です。幻想的な部分も、少なくとも私が幻想したのだということは事実です。斎賀弥右衛門氏に宛てた実際の手紙がもとをなしています。(氏は)当時の旧制砺波中学校の先生です。」と記している。旧制の砺波中学は、私の出身校「砺波高校」の前身である。

2021.5.2