2011年 白露

張貼日期:Sep 06, 2011 12:36:55 PM

先月の21日から26日にかけて、中国東北部の延吉市にある延辺大学に出かけてきた。

かつてこの地を訪れたのは、延辺朝鮮族自治州成立50周年の年であった。来年にその60周年を迎えるということなので、私の延吉市訪問は9年ぶりということになる。

延辺大学で開催された「第二回中日韓朝言語文化比較研究国際シンポジウム」への招請によるものであった。私は、「変革の前衛-東アジア残存日本語」というテーマでの基調講演をした。基調講演は、北京大学の王勇教授と韓国高麗大学校の李漢燮教授との3人であった。王教授は「漢字」という用語の起源と変遷について話された。李教授は漢字文化圏での「近代新語」に関するデータベース構築構想について話された。李教授は私が阪大に異動した年の最初の授業に受講生として参加していた、いわば教え子である。そのときからすでに30年近くの歳月が経過している。懐かしいかぎりである。

大会には日本、韓国をはじめ、多くの国からの250人を超える参加者があった。19会場にも及ぶ分科会が設置され、さまざまな研究発表がなされた。発表は原則的に日本語に限るとされていた。それが何より有り難かった。

しかし、ホテルのテレビでは、中国語のほか、韓国(・朝鮮)語、英語、ロシア語の放送は流れているが、日本語の放送だけは流れていない。日本側が海外への放送に対してもっと積極的になってもらわなければ困る。日本の内向きの姿勢が、結果としてアジアの国々からも取り残されていくことになっている。日本はどんどん落ちていくのではないのか。と、日本語の研究を志向している、ある学生が残念そうに語っていた。

栄えた国が衰退していく典型を見ているような思いがある。ただ、私自身はそのことに関して、別に危機感を抱いているわけでもないのだが。

2011.9.7