張貼日期:Jul 31, 2013 12:34:17 PM
8月になると、あの終戦の前後に我が故郷を舞台として書かれた石田外茂一の「五箇山民俗覚書」を紐解くことにしている。そこには、68年前の、ポツダム宣言を受諾し、日本が降伏した日における述懐がある。以下に掲げる。
玉音放送の晩だったかと思うが某氏はこの際どうしているだろうかと特に興味を覚えたので訪ねてみた。彼はこの暑気にもかかわらず赫々と燃えている炉のヨコザに寝そべって身悶えして呻吟していた。天皇陛下がおいたわしいとか、日本国家の前途はどうなるだろうかとか、いったようなことをウワ言のように言っていた。私が今まで見たり聞いたりして来ているところでは、陛下の御心事を拝察申上げたり、国家を憂いたりする大義の志のある人とは見受けられる人柄ではない。何か魂胆があればニヤリニヤリとあの手この手で言いくるめ、その手に乗らねば没義道におびやかすし、相手にしても三文の得にもならぬ奴と思えばソッポを向いて小便するという人柄だ。人前で弱みを見せたりする人柄ではない。それがこのテイタラクとは、全く意外だった。更に意外なことには、青大将を倉から持ち出して(青大将といっても蛇ではない。一升ビンの通称だ)私を座敷に請じて「先生、日本はどうなるじゃろう、きかせてくれ」と来た。そんなことは私にだってわかりやしない。私はズット以前から、戦敗は当然の運命と覚悟していたので今更悲しいとも思わない。むしろ、日本人がミナ殺しになると思っていたのにそんなことなく終戦になったのを――私が殺すことなく殺されることなく終戦になったことを、熱烈に感謝しているだけだ。戦争のことがわからなかったと同様に政治のことも経済のこともわからぬ。わからぬながらも、わからぬ中から、古今東西に不易な道が、ほのかにわかるような気もする。無明の明とでもいうか、まあ、そのような平凡な良民として生きて行くというのが、終始かわらぬ私の処世法だ。それだけだ。
ここには庶民の率直な心持が描かれていよう。しかも、何より感動するのは、あの時点においてすでに「古今東西に不易な道」を見通していた石田のリベラル性についてである。
2013.8.1