2013年 雛祭り

張貼日期:Feb 28, 2013 10:20:29 AM

奈良大学では例年「全国高校生歴史フォーラム」を開催している。このフォーラムは、全国の高校生たちから、彼ら/彼女らが調査・研究した地歴に関するレポートを募集し、その中の優れた研究レポートに「優秀賞」を授与するというものである。

今年度も、厳正な審査の上、いくつかの研究が優秀賞に選ばれた。そのなかに岐阜県立益田清風高等学校の田口裕太君による「『がんどうち』~文化の街、萩原町。今なお続く伝統行事~」がある。これは、下呂市の萩原町で3月3日、桃の節句に子どもたちが雛飾りのある近所の家々を訪ね回り、お菓子類をもらって歩く「がんどうち」と称される行事についてのインタビューによる実態報告である。

「がんど」のもとは「がうたう」である。古くは「がうたうする」といった表現で他人の品物や金銭などを暴力的に奪い取ることを意味した。平安末期の辞書に載せられているが、その後も多くの文献例がある。室町末期には「強盗に入る」という意味での「がんだううつ」という形が現れる。本来の語「がうたう」が、「がうだう」、「がんだう」、そして「がんどう」、「がんど」と変化したのである。この語は、江戸末期以降、中央では「ごうとう」という発音が一般的になった。萩原町での「がんど」は、この泥棒を意味する「ごうとう(強盗)」につながる語なのである。

「他人の金品を暴力で無理やり奪い取る」という意味での「がんどう」という語は、全国各地の方言に見られるが、東海地方の各地ではそれが「がんどをうつ」という表現で、「雛祭りに、子どもたちが供え物のお菓子などを強引に盗み取る」ことへと変化して使われた。それもはじめは、「3月の節句に女の子どもたちが飲食しているところへ男の子たちが出かけていって食べ物を強要する」ことだったのあるが、後に、「雛をまつっている家々を子どもたちが回って供え物やお菓子をもらって歩くこと」という意味に変化したのである。

このような行事は、現在も飛騨益田地域の周辺で、また名古屋市や渥美半島の一部などにも見られ、民俗学的・方言学的に大変に興味深い分布状況を示す事象なのである。田口君の研究は、特にその現代的な変容をフィールドワークによってきっちりと記録したもので、その点を高く評価したのであった。

2013.3.1