2017年 伯父

張貼日期:Aug 30, 2017 11:34:25 PM

お盆に帰省した折、実家の書庫で、今は亡き伯父が昭和2(1927)年に書き留めた日記帳を見つけた。ちょうど90年前のものである。

その表紙には、「昭和二年一月四日開始、同年十二月六日終了」、裏表紙には「大日本国民中学会員、大正十三年五月入会」とある。

「大日本国民中学会」とは、1902年に中学講義録の頒布を始めた民間の通信教育団体で、その会の目的の第1条には、「本会ハ各種ノ事情ニヨリ尋常中学校ニ入ルコト能ハザル者ノ為メニ通信授業法ヲ以テ正則ニ中学校全課程ヲ修了セシムルヲ以テ目的トス」とある由(国立国会図書館「レファレンス協同データベース」による)。

大正13(1924)年は、伯父が尋常小学校を卒業した年である。伯父は小学校卒業のすぐ後にこの会に入会したことになる。そして、その2年半後にこの日記は書き始められている。その時、伯父は15歳であったはず。

当時の五箇山には「大家族制」がまだ残存していた。この家族制度のもとでは、傍系の親族たちは結婚後も生家に留まり働くことになっていた。そして、そこで生まれた子供たちはその家で養育され働かされた。伯父はそのような環境の中で育ったのである。

日記の一部を転載しよう。文中のuncleとは、伯父の過ごした家の家長(伯父の伯父)のことである。

昭和二年六月二三日 Thursday 晩にuncleが仕事のし様が少いと叱言を言ふ、何と云ふ惨しさ此の日記を記す時こそ熱い涙が止度も無く流れ為に紙面さえ見えぬ…

昭和二年九月二六日 Friday 勉強をせねばならぬ身の苦しさuncleの畜生我が前途を無視して居る、又少し長くまで学問をして居ると寝よと勧める、何糞、仕事が何だ、我が前途を無視するならせよ我は自生行動をとる学問をする出世をする恨を晴らす…

伯父は、長じて職業軍人となり、陸軍准尉にまで昇進した。

いつの頃であったか、「戦前に学歴のない者が昇進する道は軍隊しかなかった。だが、その軍隊においても…」と、私に述懐したことが思い出される。

2017.9.1