2020年 木の芽どき

張貼日期:Apr 14, 2020 12:12:0 AM

この時期になると、関西に住まいする知人が京都の筍(タケノコ)を届けてくれる。やわらかくて甘みのある旬の筍の独特の味わいは、まさに季節の贈り物である。

ちなみに、筍の字面は、成長が早く、10日(旬)も過ぎると竹になってしまう、ということに由来するとの説がある。

さて、旬の新わかめとの相性を楽しむ「若竹汁」「若竹煮」や、「木の芽味噌和え」なども悪くはないが、何と言ってもサクサクとした「筍ごはん」が私にとっての定番である。

その昔、祖母から、筍を食べると吹き出ものがでると聞いたことがあった。筍に限らず、新芽や新しい種子には強い精分が蓄えられているのである。ゼンマイ、ワラビしかり、そして現代のブロッコリーしかりであろう。そんなことを考えていて、若き日に読んで印象深かった、丸山薫のエッセイ「木の芽どき」の一文が思い出されてきた。

筍もまた竹の芽である。筍を食べると吹き出ものがするというが、芽には何によらず、強力な精分が内蔵されていることは事実らしい。俗に「木の芽どき」とも言う。…木の芽の精の本体が何ものであるか? なぜあんなに急速に伸びるのか? 珠から葉に、枝に小さな芽生えの中に神秘に畳み込まれている無限の未来。その未来を繰り出す強力な力――その力とはなんであるのか? 科学がどんなに進もうと、生命の不思議だけはここ当分はわかるまい。

草木の発芽が生命の必然なら、少年少女の心身に兆す思春の芽も人間成長の必然であり、学生の心に一度は動く政治への疑いも、抵抗の意欲も、社会へのめざめの一歩であろう。それら自然の発芽を否定しようと、根幹を絶たない限り、芽はどこにでも吹き出してくる。芽は十分陽にあてて、立派な葉に育て、木の生命の永遠をはかるべきである。

老人達も怖がってばかりいないで、これら若い者のキノメドキも、まれには試食してみるといい。もう一度、ひたいにニキビぐらいつくる元気が必要である。

(『丸山薫全集』4、角川書店1977から)

改めてこの文章に触れて、かつて読んだときよりも、より心に響くものがあるのである。しょぼくれた日々を過ごす中、いくばくかの精気をもらったような気がするのである。

(2020.4.15)