2018年 根岸

張貼日期:Sep 22, 2018 11:50:57 PM

徳川宗賢先生のお墓は谷中霊園の一角にある。

谷中霊園は、明治7年に谷中天王寺の敷地を東京府が引き継いで墓地として開設したものだという。その後、明治22年に東京市に移管され、昭和10年に「谷中霊園」と改められて今に至っている。なお、現在は都市計画公園としての事業のもとでの整備・整地が進められている。

先生のお墓は、「寛永寺谷中第一霊園」の田安家墓地の中にある。お墓の隣には、徳川8代将軍吉宗の次男で、国学者であり歌人であった田安宗武の墓が建っている。宗武は御三卿の一つ、徳川田安家の始祖である。

近隣には円地文子の墓がある。円地文子は上田万年の娘なので、彼女のことは先生と阪大の研究室でたびたび話題にしたものであった。先生は彼女と親交があった由で、先生のお墓を訪れる際にはいつも、お二人あの世でどんな会話を交わしているのだろう、などと思うのである。

阪大の卒業生たちで首都圏に在住する者が、年に一度集う会がある。名付けて「東下りの会」。この会では毎年、まず徳川先生のお墓にお参りし、そのあと会食しながら、互いの近況を報告しあうことになっている。

今夏は、台東区根岸にある豆富料理の店「笹乃雪」が会場であった。根岸と言えば正岡子規である。子規に「笹乃雪」を詠んだ句がある。

水無月や根岸涼しき笹乃雪

実は「笹乃雪」には懐かしい思い出があるのだ。

国立国語研究所に勤め始めた1975年の4月のある日、研究所による歓迎会が催されたのだが、その会場が「笹乃雪」だった。それを時折に思い出すこともあったが、その後の43年間、再訪する機会は訪れなかった。

現在、その「笹乃雪」まで、何と歩いて13分の距離のところに住いしていることが自分でも不思議なのである

(2018.9.23)