張貼日期:Jul 31, 2021 1:31:33 AM
石田外茂一『弥右衛門宛五箇山消息』の「第四信(栃の葉天狗)」での一節から。この文章の執筆日時は、1946年9月23日である。
谷川の水が、トートーといえばいいか、ザーザーといえばいいか、ドンドンと言えばいいか、トントコといえばいいか、とにかく、ある種の調子拍子で、私の聴覚をくすぐってき ます。改めて立札を見ると、朽ちかけた板に、墨跡だけが浮き出ていて、「天然記念物保存、栃の木、樹齢四百年、富山県」と読まれます。四百年という年数が、グッと私を圧倒してきて、それにくらべたら人間の年齢などはいくらいくら長生きしたと言っても、物の数ではないなァと思った途端に、ヒョイと蒲生氏郷の辞世の歌が想い浮かんできました。
吹かずともやがては花の散るものを心せわしき春の山風
人間はなぜ、このはかない命を、戦争などして奪い合うのでしょう。殺さなくてもやがて死ぬのになァと長嘆息して、ここで更に改めて、当の栃ノ木をつくづく眺めやりました。
谷の対岸の雑木の叢の小暗い中から、あれで近寄って見たら、五ッ抱えは充分あろうかと思われる大木が、グーンと抜き上がっています。抜群という漢語そっくりですナ。栃の幹 は、楢や栗などとは、くらべものにならない、キメの細かい肌をしていて、ひと口に白いとは言いきれない、微妙な色をしています。こんな色ツヤした、巨大な幹が、もうすでに色濃く闇の迫った谷間から抜きんでているのは、全く荘厳そのものです。これを水音が、拍子をとって伴奏しているところは、魂に食い込んで来る霊気があります。
この太幹が、大股を打ち、大枝に分かれ、中枝に分かれ、小枝に分かれていっています。それは、…もう蓮華の蕾や手踊りの腕(かいな)ではなくて、見事な七五三の葉が重なり合っているンです。そうした樹容はまさに、一山を支配する王者というところですナ。いや、王者という言葉はどうも気にくわない。聖者といきましょうか。いや、これではただの孤立した隠者という感じで物足りませんナ。むらがり集る数千人の弟子雲水をひきいる大和尚、大禅師というところでしょうか。いや、こう言うと肩肘張ったヤセ我慢の禅坊主のようで、シミジミとした親しさ、気安さ、がかんじられませんネ。いっそのこと、民間伝承の天狗といきましょう。やっぱりこれですナ。
故郷、五箇山には確かに栃の木がたくさん生えていた。栃の実は、五箇山人にとって、主食の補助となる貴重なものであったのだ。
五箇山の名産品に「栃餅」というのがある。その「栃餅」の香りは、山人にとって、いわば民俗の記憶としての、懐かしい香りなのかもしれない。
2021.8.1