張貼日期:Feb 15, 2019 11:29:37 PM
5千円札の肖像の人ということで、裕福でどことなく高邁な女性のようなイメージを抱かれる樋口一葉であるが、24歳という若さで幕を閉じた彼女の生涯は決してそのような境遇のものではなく、貧窮と苦悩に満ちたものであった。
そのような苦しい生活をバネに、という面もあるのだろうが、彼女は、1894(明治27)年の「大つごもり」から、翌年の「にごりえ」「十三夜」、そして「たけくらべ」と、わずか1年半の間に優れた作品を続けざまに発表したのである。これは文学史の上で、“奇跡の14ヶ月”とも称されているようであるが、彼女が、この期、創作活動を集中的に展開した、その素因は何だったのか。彼女は自分の死期を意識していたのではなかろうか。
台東区立・一葉記念館での常設展示に、「終焉-流星の如く」と題して、彼女の最期の様子が描かれているので、その一部を引用させていただく。
明治29年4月から、一葉は喉に腫れを覚えるようになり、5月には病床で原稿を書くようになった。…8月初めに山龍堂病院へ妹くにが連れて行ったが、すでに深刻な状態であった。…一時回復の兆しを見せたが、再び高熱が続くようになり、斎藤緑雨の連絡を受けた森鴎外が友人の医師青山胤通を紹介した。妹くにはこの診察で初めて、姉が結核であることを知った。
馬場孤蝶が11月初めに訪ね、起きて応接ができない一葉に、暮れにまた会いに来ると告げると、一葉は苦しそうな声で「その時分には私は何に為って居ましょう。石にでも為って居ましょうか」と言ったという。明治29年11月23日、一葉は流星の如く世を去った。
「石にでも為って居ましょうか」といった言い回しに、悔しさと、一葉としてのプライドの一斑が表れていよう。しかし、わずか24歳の女性である。私には彼女が痛々しく、かつ身近に感じられるのである。
(2019.2.16)