2020年 啄木の歌

張貼日期:Mar 14, 2020 12:38:4 AM

岩手・雫石といえば、学生時代によく訪れていた北上盆地のことが想起されるのである。そして、口ずさんだあの歌のことが。

やはらかに柳あをめる

北上の岸辺目に見ゆ

泣けとごとくに

石川啄木のことは、最近また注目されていて、「ダメ人間」などとする評価も存在するようであるが、啄木の生活態度は別として、この歌は私の心に今もって響くものがある。

かつて、丸山薫は、この歌の好き嫌いに関するアンケートの結果をめぐって、「実感を以て直截に心を突き、かなしく鳴りわたるところ、しかも歌詠みに有り勝ちの和臭のない若々しさは、私もたいへんに好きである。」と述べた上で、次のように記している(「流離不遇の詩人-啄木の感傷と抒情」『愛知大学新聞』1955.4.25)

たゞ、詩人の村野四郎だけが「抒情があまり上等ではない」という理由ではっきりと「嫌いだ」と答えていた。そうした点から云うなら、革命的思想をやヽ鮮明に打ち出した晩年 一連の詩の方が、抒情も精錬整理されているかもしれない。けれど文芸作品を方法論的にだけ見て価値づけようとする一派の専門家は別として、現実の実感に生きる大衆読者にとっ て、非人間的な上質さは隔靴掻痒であろう。石川啄木の歌が感傷そのままであることは確かにしても、それを充分に認めた上でなおこの詩人を、小野十三郎は次のように推賞してい る。

「啄木の歌は弱い心の所産だが、しかもその中に、人間をより強い状態に持ってゆく契機がある。」

と。私もまたこの言葉に賛成したい。なぜなら詩は人間の温いハートに咲く花でこそあれ、けだものの屍皮でつくった冷たい鞭ではないからである。

(『丸山薫全集』4、角川書店1977から)

(2020.3.15)