2012年 正月

張貼日期:Dec 31, 2011 2:7:3 PM

五箇山は今、深い雪におおわれ、静まりかえっていよう。

唐突ではあるが、幼い頃、身体、特に頭部にさわられることが極度に嫌で、したがって、散髪などは絶対的に拒否していた。

正月のある日、村の床屋氏が、雪をかき分け、散髪用具を携えてわが家を訪ねてきた。家の者が<出前>を要請した結果であった()。

逃げまわる私を家族総出で追いかけ、つかまえて、押さえ込んだのであった(足を押さえる者、手を押さえる者、そして頭を押さえる者もいた)。

私は押さえ込まれ、髪を切られながら、罵詈雑言を連発していたことを記憶している。

散髪の後、その床屋氏はわが家で食事の饗応を受けたのであるが、その食事中に、私は彼の膳にそっと近づき、皿に盛られていた魚を瞬時に一尾掠りとって別室へ逃げ込んだのであった。まるで猫のように。

もちろん家族にきつく叱責されたのだが、その折の気持ちとしては、私を虐めた<奴>が、わが家の御馳走を食べていることが許せなかったのである。

何とも悪ガキであった。

)この要請に関しては、必ずしも私の散髪のためだけではなく、当時、貧窮に陥っていた床屋氏への慈善行為という意図もあったことを後に悟るに至った。

やはり正月のある日のこと。摘み菜の入ったお汁が何故か急にほしくなって、家族に、どうしても、とせがんだことがあった。そのとき、祖母が、「今は間引き菜の摘める時節ではないので、どうか我慢をしてくれ」と頭を下げて懇願してきたのである。しかし、私は、心の中では納得しながらも、しばらくの間、駄々をこねていた。

そんなことなどがまた思い出されてきた。

どこかの国の<小皇帝>のことを話題にして批判をしながら、私自身、内弁慶としてではあるが、まさに同類の輩なのであった。

そのような内弁慶的性向は今に至っても矯正されてはいない(ようである)。

2012.1.1