2020年 荷風と浄閑寺

張貼日期:Jan 31, 2020 2:5:42 AM

先般、久しぶりに森鴎外記念館を訪ねた。特別展「荷風生誕140年・没後60年記念『永井荷風と鴎外』」が開催されていたからである。

荷風は鴎外を師と仰ぎ、生涯を通して鴎外を敬愛したことで知られているが、展示では、明治36年1月の二人の初対面から、荷風の海外体験、荷風が主宰した雑誌「三田文学」での二人の作品、そして鴎外没後に荷風が追憶した鴎外の面影などが紹介されていた。荷風は、1959年に亡くなったが、死の床には鴎外の『渋江抽斎』が開いたままで置かれてあったという。

私は荷風の作品はほとんど読んでいないのだが、荷風の吉原登楼のことは知っていたので、このたび吉原遊郭の遊女たちの慰霊碑のある浄閑寺をのぞいてみようと思いたった。

浄閑寺は南千住の三ノ輪にある。東京メトロ日比谷線の三ノ輪駅は銀座などに出かける際いつも利用するところなのだが、「三ノ輪の投込寺」とも称されている浄閑寺には何故か足が遠のいていたのであった。「投込寺」の由来が、安政の大地震(1855)の際に死亡した多くの遊女たちの遺体を集め、投げ込み同然に葬ったことにある、と言われているからである。

寺に入って、本堂の真裏のところに遊女たちを葬っている新吉原総霊塔というのが置かれている。そこには、関東大震災や東京大空襲でなくなった遊女たちも祀られている由である。その対面の場所に永井荷風の詩文を彫った碑と筆塚がある。これは、1963年に、鴎外の長男の於菟や谷崎潤一郎らによって建てられたものとのこと。

碑には荷風の詩集『偏奇館吟草』の中の「震災」という詩が彫られている。ここでの「震災」とは、関東大震災のことである。詩文には、荷風にとっての江戸の文化・風物がまだ残っていた明治という時代、そして、それが震災によってすべて瓦解してしまったことに対する哀惜の情が詠われている。

(2020.2.1)