2006年 秋分

張貼日期:Mar 05, 2011 5:40:17 AM

このところ、日本の旧統治領における残留日本語の現地調査に従っている。前回掲げたピョンヤン育ちのコリアン女性の談話もその調査の途上で得たものである。

その談話の中に、次のような表現が多出していることに留意していただきたい。

あの時は、生地がなかったでしょ。あれが欲しい人は、

生地もいいから一度アイロンしたらそれはなかなかきれいでしょ。だから名前が万年アイロン。

勤労奉仕したらくれるマークがあったでしょ。 1年したら1つ、2年したら2つのマーク、勤労奉仕のマークがあったんですよ。それで私は、

ここでの「~でしょ」は、聞き手が知らないはずの事柄を提示しつつ、それをもとに後続の発話を展開するといった機能を担っているのである。このような用法については、台湾の話者の談話からも多数の使用例が認められる(簡月真「台湾高年層の日本語にみられるモダリティ-『ダロウ』と『デショウ』を中心に」2006.8.19台湾日本語文学会第213回例会研究発表から)。

最近、研究の焦点になっている、いわゆる<確認要求>は、聞き手が知っている、あるいは分かっているはずの事柄を取り上げて、確認や同意を求める用法である。しかし、ここでのものは、聞き手が知らない、あるいは分からないはずの情報をまず提示し、後続の発話内容の土台を作る、といった機能を担うものである。このような用法を簡月真さんとともに検討した結果、この用法を、新たに<(新情報)認知要求>と名付けるにいたった。そのことを、ここに二人の共同提案として示したいと思う。

ちなみに、最近の若年の間において、「~じゃないですか」や「~でしょ」による、ここで提示した<(新情報)認知要求>の運用が増えてきていることが観察される。たとえば、次のようなものである。

(初対面の人に対して)私って恥ずかしがり屋 じゃないですか。だから、

(相手が知っているかどうかにはお構いなく)私、(血液型)B型でしょ。ですから、

旧統治領での日本語話者における運用は、このような、後に日本国内に生じる運用傾向を先取りしているものともいえるわけである。

2006.9.23