2018年 雪虫

張貼日期:Jan 09, 2018 10:56:1 PM

以前に紹介した石田外茂一の幻の小説、『弥右衛門宛五箇山消息』を謄写版で印刷した復刻版をこのたび手に入れることができた。その基になった自筆本は昭和21(1946)年に書かれたものである。

ここでは、1946年8月26日と、その記述日時を記した「第二信(水精童女)」の一節を掲げよう。文中の「アワ」とあるのは、〈表層なだれ〉のことである。「アサツキ」については、石田自身、〈山菜。発芽したばかりのものを食用にする。徒長するとニラのようになる〉と注記している。

昨年の十二月は、雪で木炭を出すトラックが止ったのは十日頃でしたでしょうか。それから全くサトと遮断された陸の孤島の冬籠りです。サトとは、ヤマ即ちこの地以外の外界のことです。栃餅を炉であぶって暮らす楽しみもいいものですが、外は、白い山山が、天を、狭く細長く庄川沿いに区切っているばかりです。靄も立たぬ庄川の水は、ドス黒くよどんでいます。

それでも年改って寒があけると、一面に雪虫がわいて、日光にキラキラ光る積雪の表面をメチャクチャに這い廻ります。そして何か這い登る物にぶつかると、列をつくって忙しげに這い登ります。木の幹、家の柱、電柱、垂直な物はなンでも、雪虫の列でいっぱいです。山山はと見ると、思いもかけず、早や、木木の梢は、ポーッと赤らんできています。もう葉芽が動きだし、ふくらみだしたのです。アワ跡のすさまじいスロープの麓でも、漸く雪の下行く水が、コトコトと響きはじめ、庄川の水は、碧く生き返ってドンドン流れます。このように春の先ブレは存外早いンですが、実際の春はまだまだです。もうこの頃になると部落のあちこちの家では、青物がなくなったとの嘆声がきこえだします。

四月のはじめになると、ようやく雪の下行く水の音するあたりに、雪の解け口が真ン丸く開いて、そこへ、黄色いアサツキ(註1)の芽が針山のように盛り上って来ます。するとたちまち、アサツキ、アサツキ、の声が口から口へと、村いっぱいに伝わって、おとめごらは、歓喜に眼をかがやかせ、右手にフグシ、腰に小手籠(こてご)、アサツキ採りに出かけます。そのイキイキした姿。

籠(こ)もよ み籠持ち 掘串(ふぐし)もよ み掘串持ち

この岳(おか)に 菜摘ます児 家聞かな 名告(の)らさね

万葉集巻頭の御製そっくりです。タイムマシンで万葉の世界に遡行した感じです。

2018.1.10