2010年 厳寒

張貼日期:Mar 05, 2011 6:11:15 AM

この冬、ふるさとでは、積雪量が例年とくらべ著しく多いという。

かつて、冬の道路を歩く途次に怖かったのは、雪崩が道を遮断して雪盤が累々と積み重なっているところを踏み越すときであった。道の真上の山の中腹の雪魂がアングリと大きな口を開け、今にも襲いかかろうとしているその下を、息をのんで小走りに通り過ぎる、そのときの気持ちは表現のしようもない。

ふたたび石田外茂一の文章から。これは敗戦後間もない頃に書かれたものである(寺崎満雄氏転写「五箇山民俗覚書」による)。

山人が最も恐れているのは、吹雪や雪崩ではなくてアワだ。雪崩には二種類あって、底雪崩と風雪崩とだ。前者は、普通のナダレのこと、後者は五箇山ではアワという。

北陸ではどんなに寒いと言っても、大気が湿度を多分に含んでいるので寒さがやわらかいのだが、それでも時によると今晩は珍しく寒さが痛く肌を刺すという日がある。炉にあたっていても背中がゾクゾクして来る。いやヒリヒリ痛い。そんな晩には、アワが出そうな晩だナと誰かゞ言わうものなら、その一声で、今まで炉辺で花咲いていたダジャレもプッツリ切れて皆黙りこくってしまう。皆の心の中にはたゞ一つ同じ恐怖がつきまとう ―今にもアワが襲って来てこの家がフッ飛んでしまうかもしれない。そこへ風でもひと吹き来ようものなら、そらアワだッと飛び立ちたい衝動にかられる。事実こんな晩にはアワが出るのだ。

積雪が寒中のヒリッとした痛い厳寒で凍て上がり乾き切っていて、その上に降る新雪を受け付けない。そんな積雪の上に、これもまたサラサラして落ち付かない粉雪が降り積もるのだ。これでは地の雪は、降る雪をはね返す。降る雪もまた地の雪になじまない。こんな状態の時に、山上でチョットした風とか、木の枝のはねかえりとかで、粉雪が少しでも動き出したら最後だ。その下、その下と、下の方の粉雪が全部動き出して停止するところを知らずといった具合で、山ヒダをなだれ下り、途中の粉雪をことごとく合わせ、速度を増し谷間へ押し寄せて来る。その速度と暴力とは雪崩の比ではない。アッという間に、ひと部落フッ飛んでしもう。だから山人は、上述のような天候及び雪質の時には、路を歩いていても雪に動きを与えることを極度に恐れ、杖も山のほうへは突かずに、谷の方に突くという慎重さだ。

ちなみに、石田外茂一は明治34年金沢市の生まれ、東京帝国大学英文科を卒業後、開成中学の英語教師をしていたが、昭和20年3月の東京大空襲を体験し、ある意志をもって五箇山に移住。家族で山中での生活を支えあいながら、戦中戦後の約5年間を小・中学校の教員として五箇山で過ごし、村人の啓蒙に尽くした人物である。

2010.2.1